30代、40代、50代のライター鼎談|定年なきフリーライターが10年後も生き残るために必要なこと【後編】

2025年も生き残っているか? 定年なきフリーライター、フリー編集者の未来
雑誌の廃刊・休刊が相次ぎ、ウェブメディアが乱立する昨今。昔ながらの手法や人脈で「稼ぐ」ことには限界を感じる業界関係者は少なくないようだ。今から10年後、はたしてフリーランスとして、食えているのだろうか?
そんな不安や先行きを見通すべく当事者たちが集まり、語り合ったイベントの後編を紹介する。
※前編は こちら から
【登壇者プロフィール】

オバタカズユキ さん
1964年東京生まれ千葉育ち。上智大学卒後、53日の出版社勤務を経て、89年よりフリーライターに。コラムや書評、取材記事の執筆などの他、書籍の企画・構成も行う。著書は『大学図鑑!』シリーズ、『何のために働くか』ほか多数。土地勘のある分野は教育、仕事、資格など。最近はメンタルヘルス全般に興味あり。Twitter ID:@obatakazu1

小川たまか さん
1980年生まれ。ライター/編集プロダクション・プレスラボ取締役。大学院在学中にライター活動を開始。2008年から現職。主な執筆媒体はYahoo!ニュース個人、ダイヤモンドオンライン、ウートピ。来年は校正の勉強をしたいです。 Twitter ID:@ogawatam

宮脇淳 さん
1973年、和歌山市出身。雑誌編集者を経て、25歳でフリーライター・編集者として独立。5年半の活動後、有限会社ノオトを設立した。現在は、「品川経済新聞」「和歌山経済新聞」編集長、東京・五反田のコワーキングスペース「CONTENTZ」管理人を務める。企業のオウンドメディアづくりを中心に、コンテンツメーカーの経営者・編集者として活動中。Twitter ID:@miyawaki
四半世紀経っても、一人前のライターになれた実感はない
宮脇:苦しい時期を経て、一人前になれたな、みたいな瞬間ってありますか?
小川:まだ一人前ではないと思うんですけど、さっきも言ったとおり、手応えを感じた瞬間ですね。ステップが上がったなって、自分でも思いました。
オバタ:あ、私はないです。
宮脇:そういうと思ったけど(笑)。 僕は雑誌でやっていて担当編集者に褒められたときにようやく食っていけるって思いました。しかも何年も一緒にやっていた相手に、「上手くなったよね」とか、「直しがなくなったよね」とか。
オバタ:ああ、なるほど。私は正直、読者からの反応はあんまりうれしくなくて、そういうのもいるだろうくらいに思っちゃうんですけど。やっぱり反応が気になるのは編集者ですよね。編集部に原稿見られるのってすごく不安だし、そこで「問題ありませんでした」って言われるとムカつきます。「問題出さないために仕事してんじゃないんだよ!」って。
(会場笑い)
だから編集者に、「面白かったです」って言われるのがすごくうれしいですよね。そういうことをあんまり言わないヤツだと特に、ね。そう言われると、半日くらいはハイテンションになるよね。
宮脇 私は編集者の立場でいうと、思ったら素直にいいますけどね。ライターと編集者はペアリングというか、どっちも欠けると仕事にならないので。フリーライター時代はいい編集者に恵まれてよかったと思っています。おふたりは編集者とどう関係を築いていますか?
小川:合わない人とは付き合わない。
宮脇:小川さんは編集者と、よくケンカしますよね。
小川:そうですね。出版系の編集者とケンカすることはあまりないけど、企業系の編集者っぽい人とは……。
オバタ:編集者気取りをする人でしょ?
小川:そうですね(笑)。私は人に言ったことをすぐ忘れちゃうのであんまり覚えてないんですけど、うちの社長に「そんなに怒るなら、ちょっとカウンセリング行ってきて」って言われたことがあります。
オバタ:(笑)。自分は最近穏やかになりましたけどね。でも、長く付き合っていれば結局わかってしまうことなので、正直に接するっていうのが基本かな、と。よく人から言われていたのが、「あなたは編集者に期待しすぎなんですよ」と。私は結構依存しちゃうんです。編集者に期待して、「一心同体でやっていきましょう」みたいに。そう思わない編集者も多いので、期待しないっていうのが大事。
宮脇:人によって、温度感も違いますからね。
オバタ:もちろん。ただそういう前提でいないと、ライターっていうのは基本ひとりぼっちだから、頼りたくなっちゃう。ただ、向こうは権限を持っているわけだから、頼り過ぎると足元見られますよと。
宮脇:もちろん、常に編集者がライターより絶対的に立場が上ってわけではなく、ベテランライターに対して新米編集者というケースもあります。そういう意味で、お互いの力関係の見極めって難しいですよね。
年商は「200万〜1,200万」を行ったり来たり
宮脇:ギャランティの生々しい話をしてみたいと思います。原稿料って雑誌全盛期に比べるとだいぶ落ちているんだけど、1999年に私がフリーランスになったころ、先輩のフリーライターにギャランティの相場を聞いてみたんです。そしたら、とある月刊誌は、バブル期が過ぎたあともしばらくページ単価4万だったと教えてくれました。当時、私は編プロから編集込みでページ単価1.5万円の仕事を1カ月10〜20ページくらい請けて生活を成り立たせていたのでビックリしました。そんなにもらえた時代があったんだって。
僕は今42歳なんですけど、40歳以下のライターさんはページ単価4万円のライティング仕事なんて未知の世界なんじゃないでしょうか。そういう時代はむしろイレギュラーで、ようやく適正価格になってきたのかもしれません。安い、高いの感覚値って、本当に難しいなと思うのですが。
オバタ:1カ月の収入には上下があるので、月単位で出すのはあんまり意味がないと思いますが、俺の場合、年の売り上げで200万円から1,500万円の間を行ったり来たりしています。800万から1,000万の間が一番長いかな。
ただ、昨年は200万円台です。鬱になって落ちちゃって。5〜6年前に1,200万円だったのが200万円だから、その落ち方すると鬱にもなるな、と。
宮脇:生活が成り立たなくなりませんか?
オバタ:貯金を崩して生きていますね。今みたいな状態になることを予見していましたから。
宮脇:フリーライターやフリー編集者って、どうしても収入に浮き沈みがありすぎるじゃないですか。小川さんも私もいまは会社なので、月々の収入は固定給になっているけど。
オバタ:わたしも一時期は会社と個人のダブル収入だったんです。もうひとりの仲間と会社を設立して、一番いい時期はふたりとも月給50万円。でも、今は会社の年商は経費で消えてしまう程度。ほとんど個人の収入で生活しています。
宮脇:会社を使わなくなった理由は?
オバタ:もともと個人の仕事がメインと決めていて、現状は個人の仕事しかなくなっちゃったということですね。会社を上手く活用できなかった。
宮脇:小川さんは会社を上手く活用していますよね?
小川:(笑)。
宮脇:お金まわりの話になると、急に歯切れが悪くなりますね(笑)。
私はフリーのライターや編集者がある程度力をつけたら、収入を安定させるという意味で会社を設立するのはひとつの手だと思っています。正しい道はわかりませんが、後から振り返ると個人的な売上が1,000万を超えるくらいになったら会社にして、社員なりアシスタントなりをつけた方がいいのかな、と。私が会社を作る前年の年商は550万くらいだったんで、正直まったく大したことないんです。31歳くらいかな。雑誌がメインで、インターネット仕事はリンク集を作るくらいしかやってなかった。
オバタ:それで会社を作るって珍しいですね。税金対策で年商1,500万くらい行くかどうかが目安の人が多いんだけど。
宮脇:当時死ぬほど働いてたんですよ。必死に働いて、これがずっと続くと体を壊すなって。ある日の夜中、原稿を書き上げて台所でかみさんとふたり台所でコーヒーを飲んでいるとき、ポツリと「会社作ろうかな」って言ったら、思いのほか賛成されたんです。ようやくその気になったか、なんて言われまして。
当時は会社法改正前で、株式会社が資本金1,000万以上、有限会社は300万以上必要だったんです。でも、私の貯金は200万ちょっとだったので、かみさんに「がんばって貯めてもあと1〜2年はかかるけどな」って言ったら、何も言わずに150万そっと出してきた。結局、私と150万ずつ出し合ってできたのが、有限会社ノオトなんです。
オバタ:へぇー、ええ話やなぁ。
宮脇:ええ話でしょ。当時の稼ぎを考えると、まさかそんなに貯金があったとは夢にも思っていませんでした。隠し持っていたんですね。女って怖い。だからいまだに頭が上がりません(笑)。
50代以上のライターさんってどこに行ったんだろうね
宮脇:普段、同世代のフリーライターやフリー編集者と飲んだりすると、どんな話をする事が多いですか?
オバタ:俺はもうおっさんだから、老後どうするみたいな話とか「アイツ今、こうなっちゃったよ」みたいな話とか。20代から知ってる者同士でも、3分の2ぐらいはいなくなってて、「死んだ」「行方不明」「違う仕事してる」「実家に帰った」「ヒモになった」のパターンかな。
宮脇:とことん暗くなる話題ですね……。
オバタ:だから、その中に自分たちは入らなかったけど、明日はわからないよねって言い合うことは多い。そんな心配していてもしょうがないから、一緒に企画を考えようって話につながるんだけど。
宮脇:一緒に考えて飯の種を作っていこうみたいな。前向きでいいですね。
オバタ:そうそうそう。
小川:私のまわりは20代30代のライターさんが多くて、上は40代くらいなので、50代以上のライターさんってどこに行ったんだろうねって思っていました。
オバタ:ここにいるよ!(笑)
宮脇:(笑)。知り合いになるきっかけも少ないでしょうからね。小川さんはどんなお話をしますか?
小川:うーん、どうだろう。ちょっとテーマとズレるんですけど、女性のライターと話しているとよくセクハラの話になって。取材先の店主に食事に誘われて断ったら、原稿チェックが戻ってこないとか……ひどいじゃないですか。
フリーライターって、名刺に携帯の番号を入れておくじゃないですか。そしたら、取材後もしつこく着信があって、今後も取材するかもしれないから邪険にできないし困っているみたいな話が本当にまわりで多いんです。私自身はそういうことはされないんですけど、それを聞くだけで腹が立ってくる。
今はTwitter文化ですから、有名人からいやらしいメールを送られたライターさんがキャプチャを晒すかもしれない。なんでそういうことされるかもしれないと思わないのかな。証拠を残しているのに。
オバタ:小川さんが怒り出しましたね(笑)。
宮脇:小川さんは性暴力やセクハラ問題への関心が強いので、こういったテーマの回にぜひ再登壇してください。これだけで2時間くらいすぐ経ちそうなので。
こんな割に合わない仕事は辞めておけ
宮脇:オバタさんの連投ツイートには後進へのメッセージもあったじゃないですか。もうちょっとその真意というか、思いを伺ってもいいですか。
オバタ:まぁ、あれはラリってただけ(笑)! でも本音です。後進にどうこう言うのはおこがましいんですけど、月に原稿料で3万円稼いでいない人には、「今すぐ辞めろ」って、結構マジで思います。あのね、私がライターになりたかったころに、『ダ・カーポ』っていう地味な雑誌があって、そこにライター特集があって。
そしたらそこに、関川夏央さん(※小説家、ノンフィクション作家)が「こんな割の合わない仕事はやるんじゃない」って書いていた。その当時ものすごくムカついた記憶があるんですよ。自分を鼓舞したいと思って買ったのになんだコイツは、と。そういう思いのある私ですが、いまは関川さんと同じことを言いたいですね。
こんなに総合力を必要とするのに割に合わない仕事はないぞ、って。やめとけっていう理由はいくらでも挙げられますが、それでもやりたいってヤツにはいい仕事だと思うし、そうじゃないと生き残れないと思う。
宮脇:あまのじゃくというか、やれと言われたことをそのままやるタイプは向いてないかもしれないですね。
オバタ:ライターって、言われたとおりの仕事をやってるようで、実は違う顔をチラッと見せるような腹の黒さがないとダメじゃないですか。
小川:私はやめとけとはいいませんが、ライターとして活動するなら、健康診断に行ってほしい。体と心のメンテナンスをしないと。本当に心の病と隣合わせだと思うので。
オバタ:ああ、確かに。この仕事をやっていて、3分の1は鬱になったかな、知り合いが。本当に隣り合わせですね。
小川:社長からカウンセリング行けって言われたので、結局行ったんですけど、カウンセリングはとてもいいですよ。少し落ち着きましたから(笑)。
宮脇:オバタさんがやめろというのもわかるんですけど、編プロを経営している立場としては、ライター志望者にチャンスの場を作ることは、編集者として当然やらなければいけないことだと思っているんですよ。
やってみてダメならやめた方がいいと思うし、でもド素人から始めたライターが「書籍の仕事が来た〜!」なんてFacebookに書いて喜んでいるのを見かけると、メチャクチャうれしいじゃないですか。そういうサポートができるのが編プロだと思っていて。
昔の雑誌の編集部って、なぜか大して役に立たないバイトが3人くらいいましたよね。デザイン事務所にMO届けるとか見本誌を封筒に詰めるとか、とことん雑用係なんだけれども、そういう若者もそのうちテープおこしをさせてもらったり取材現場に同行したりして、ライティングや編集を学べるチャンスがあったんですよね。そういう場が今はなくなってきているので、若手はどう居場所を見つけるのか、先輩はどういう場を作っていくのか、それぞれちゃんと考えるべきだと思うんです。
オバタ:俺は居場所がなかった人間だったんだろうね。最初から自分のオリジナリティのあるものしか書けなかったというか。修行してないんですよ。これがいまだにコンプレックス。同年代で、雑誌の編集部出身だといろんなこと経験しているんですよね。
ライターでもない仕事をいろいろやる中で、自分に合うのはこれだって明確になっていくと思うんですけど。だから俺はいまだに、自分が何をやりたいかわからない。私みたいに、ほぼ無署名ライターの経験なしに名前で仕事をするようになったヤツは特殊なんです。
フリーランスだと、一つひとつの仕事を全力でやらないと次はこないから、それでメンタルやられちゃうじゃないですか。編プロもブラックな職場がほとんどだし大変なんですけど、食い扶持は保証される。そこで需要と供給の目処が立った時に独立するって考えた方が、鬱になりづらいんじゃないかなと思います。
宮脇:オバタさんはあの連投ツイートで、実力あるライターに弟子入りするか編プロに所属しろと書いていましたよね。
オバタ:あともうひとつ言いたいのは、本業があってちょっとライターをやっているなら、本業を辞めないでほしいです。よっぽど嫌だったら辞めていいですが。なぜかと言うとシンプルで、働くことほど深い取材はないから。
普通の取材だと、たかが1時間とか2時間とか、その道の専門家や現場の人に話を聞くだけですよね。一方、1日10時間もその現場で働く生活は、そこでものすごい量の知見を得られる。最高の取材体験です。やがて本業をやっている時間がないということになれば、本業を辞める時期だとも判断できますよね。
10年後もライターとして生き残るために必要なこと
宮脇:それでは最後に、この流れで2025年、つまり10年後もライターとして、編集者として生計を立てるためにどうすればいいのか。これについて考えてみたいと思います。
オバタ:私の10年後は61でしょ。精神的にはそうでもないけど、肉体的に老いちゃってるんですね。たぶんいま、無理してやってる徹夜仕事はできなくなると思うし。老眼も今以上ひどくなったら、本を読むのが疲れるんです。集中力も落ちてくる。
そういった衰えを考えると非常に不安になります。そのこと自体についての打開策はなくて、ライターという仕事はどうなれば安定するかとか、生業として持続性を保てるかっていう方向性になる。ただ、この先ライターとしてやっていくことはほぼありえないんじゃないかと思いますね。
宮脇:ありえない?
オバタ:何でも書くライターでやっていくのはありえないんじゃないかな、と。ありえるのは専門家でしょうね。このテーマだったら彼だよね、彼女だよねってなれば、仕事は来るから。ただそういう人は、俺の年代ではほとんど大学の先生になっている。
あるいは、宮脇さんとか小川さんのように編プロを作って経営する。あともうひとつ、道は細いけど作家になる。名前で本が売れるようになる。これは半分タレントってことですよね。たぶんこの3つしかないんじゃないかな。
宮脇:小川さんはどう考えていますか?
小川:うちの会社は、ウェブ系の編プロって立ち上げのときから言っているんですけど、「ウェブライターなんて、安い原稿料でろくでもない原稿を書いているんでしょ」みたいなイメージで揶揄されることがあって、それを変えていく必要があると思っています。
そういうイメージがあると、文章を書くことが簡単だと思われてしまうし、クライアントさんがちゃんと原稿料を払ってくれない。文章を書くことは決して簡単じゃないですよね。プロのライターさんは企画も立てるし、取材も行けるし、正確な原稿を、媒体に合わせて書き分けられるですよって説明をして、ちゃんとしたお金を払ってくださいと私たちが言っていかなきゃいけないんじゃないかと思っています。
オバタ:そこが具体的には重要かなと思います。ノオトもプレスラボも、私は仕事をしたことがないので知らないから、ここがいいよとは言えませんが。
宮脇:最近よく考えていることなんですけど、私自身も5年半くらいフリーライターの経験があって、そのころ稼ぎの面で困ったのが、本当に不安定なところなんですよね。今月は50万円入金があったけど、来月は10万円しかない……みたいなことがザラにある。最低でも、1カ月20万円はあって、家賃や光熱費もちゃんと払えて、プラスアルファがあれば貯金できるような環境って、精神衛生上も大切ですよね。
だから、フリーランスでもベースの給料を固定化できないかと考えているんです。例えば年契約で、この企業のメディアのコンテンツを任せて月20万でどうですか、みたいな。もちろん手厚い保証はありませんが、少なくとも継続仕事として数カ月から年単位でのベース収入にはなる。労力も週何日か動けば書けますってくらいのバランス感覚で、そういう仕事が安定的に来れば、編プロの役割が変わってくるかなって思うんです。
オバタ:それ編プロの社員になるのと、どう違うの?
宮脇:他の編プロや出版社の仕事も自由にできる点ですね。社員には社員のメリット、たとえば経理の煩わしさがないとか健康保険が半分会社持ちとか、うちの会社の場合は近所に住めば家賃補助があるとか、いろいろあると思います。一方で、自分でもっと仕事を選びたい人は、フリーランスの立場でありながら一部固定仕事でベースを安定させつつ、プラスアルファの部分は好きな仕事に没頭する、みたいな。逆にうちの正社員がそういう契約でやりたいですって言ったら、切り替えてもいいと思っています。
オバタ:その固定仕事っていうのは、企業の仕事?
宮脇:そうですね。ノオトの場合は、やはりオウンドメディアのコンテンツ制作が多いです。企業の定期的なコンテンツ更新で、取材もするし、執筆もする。そういう方法って、ベストかどうかはわからないですけど、10年後というか、ライターをしながら安定的な収入を得ていくための仕組みづくりだと思うんです。そういう仕組みを作るのが、これからの編プロの役割じゃないかなと思うので。
オバタ:非常に心強い話だけど、その仕事って楽しいですか?
宮脇:それは案件と人のマッチング次第だと思います。弊社の事例でいうと某スポーツメーカーと月額固定で契約してコンテンツを作っている。例えば、そのメーカーの契約選手が優勝したら、みんなテレビを見ながら熱狂して喜ぶじゃないですか。ライター自身もスポーツが好きでその選手のファンだったりしたら、公式サイトやSNSでファンとともに喜びをわかちあうコンテンツを楽しく作ることができます。それは文筆業の楽しさとは少し違うかもしれないけど、ライティングや編集の技法を使って世の人々を笑顔にさせる仕事になるなら、みんな幸せなんじゃないかと思うんです。
オバタ:よくわかりました。じゃあ、私にもその手の仕事ください(笑)。
宮脇:はい、ハマるものがあったらぜひ。それにしてもあっという間の2時間でした。このあとは質疑応答、そして参加者のみなさんの交流会です。いったん休憩をはさみましょう。オバタさん、小川さん、本日はありがとうございました。
ライター交流会まとめ
30代、40代、50代の現役プレーヤー、それぞれが見る「フリーライターの未来」は生々しくもあったが、ウェブメディアや企業のソーシャルアカウントといった新しい仕事領域で、ライターが「生き残る」可能性も感じさせた。
この後、会場では質疑応答が行われ、公開できないような話題から、ある意味ではこれまで「生き残れた」三者に、「生き残れなかった」フリーランスとはどう違うのか、という鋭い質問が飛び出す一幕もあった。これにはみな、「今後も生き残れるかはわからない」としながらも、次のように回答していた。
フリーライターやフリー編集者として10年後も生き残れるかどうか。おそらくそれは結果論でしか語ることはできないだろう。一つひとつの仕事が未来につながることを忘れず、考えることを止めず、できるだけ前向きに取り組むことが、「生き残る」ためには何よりも大切になりそうだ。
<おわり>