32歳年収1千万から味わった2度の転落で、フリーランスに活路を見出す

平凡なサラリーマンがフリーランスになるまで
『自分の人生は自分が決める』。これは誰もがその通りと得心する言葉です。ただ、このような考え方は普段からなんとなく意識してはいるものの、日々の仕事や生活に追われて流されるまま時間だけが過ぎていく、そういった人は多いのではないでしょうか。
ちょっと前までの私自身がまさにそうでした。どこにでもいる平凡なサラリーマンとして、流されるまま仕事をこなす毎日を過ごしていたのです。
32歳で年収1千万円に達したビジネスキャリアは、突然に終わる
大手情報会社でビジネスマンとしてスタートを切った私は、今でいう意識高い系サラリーマンとして「30歳までに年収1千万!」を目標にして積極的なキャリアアップを図ってきました。
その目標である30歳から若干遅れはしたものの、32歳にして達成しました。 外資系ITベンチャーのマネージャーとして全国を飛び回る毎日を過ごしていたのですが、突然の会社倒産。当時、天狗になっていた私を同等の待遇で受け入れる企業など皆無で、一転してどん底の生活に叩き落されました。
条件を落としてなんとか採用された企業で再び仕事の鬼と化し、「40歳までに役員になる!」を目標に奮闘。その結果42歳で目標を達成できました。と、その翌年にリーマンショックにともなう急速な業績悪化でリストラ対象となり、再び無職。2度目のどん底です。当然、役員として業績悪化の責任の一端はあれど、忸怩たる思いのほうが強かったことを記憶しています。
そしてふと気が付くと、結果論ではありますが、自分の人生が会社や社会情勢に左右されていることに愕然としました。自ら高い目標を設定し、目標に向かって自ら仕事を選択してきたつもりの私でしたが、会社が個人のキャリア形成を担うこと、すなわち転勤や出向、倒産やリストラといった会社主導で行われるこれらのことに対し、そこで働く一個人として疑問を持つこともあまりなかったのです。
どん底から這い上がるためのフリーランスという選択
2度のどん底で味わった屈辱、その過程で考えた「自分にどのくらいの価値があるのか」という自らへの問い。その答えを導き出す中で、当然「独立」という選択肢も検討することとなります。
ただ、時は円高不況真っ只中。独立はあくまで「選択肢の一つ」として心の中に留めておきつつ、タイミングを見計らう必要があると判断し、しばらくは生活のために非正規雇用で働くことにしました。
役員時代と比べると年収は1/33分の1以下。当時流行った「断捨離」を大胆に敢行し、できるだけ切り詰めた生活でタイミングを計っていたのですが、それでも貯金が目に見えて減っていく生活は精神的にかなり厳しかったです。
それから2~3年、景気も上向き基調になり、いよいよ具体的に独立を考える時期がやってきました。
幸い、IT系・web系・人材教育系のスキルについては、サラリーマン時代から人に教えることができる程度のスキルは保持していました。社内でもある意味便利屋として、特に年配者から”パソコンの事ならなんでも聞ける存在”としての確固たるポジション(?)を確保する程度には長けていました。
そこで、このスキルがどれだけの価値を持つのか検証してみようと思い、メディア等で脚光を浴びていた「ランサーズ」に登録したのです。 ただ、この時点ではまだ自分がフリーランサーとして活躍することについては半信半疑でした。
会社員の身分を捨てて、独立を決意
フリーランスとしての仕事は、まずは簡単なタスクからスタート。とにかく、量をこなすことと、数と反比例しがちな丁寧な対応を心がけて作業にあたりました。複数のタスクを受託しながら、その都度クライアント様から高評価をいただけたと自負しています。仕事に対する評価、及びいただくコメントが自分の中で自信となり、「独立」が現実味を帯びてきたのです。
会社に左右されない生き方と会社の看板を背負っていない自分自身の価値の検証、この2つを実証するフィールドとしての「ランサーズ」という選択肢。フリーランスへの扉を開いてくれたこの仕組みがなかったら、いまだに会社や組織に依存した人生を送っていたことでしょう。
自分自身のキャリアを自分の手で構築するということ。先の見えない時代だからこそ、会社にキャリアを預けるのではなく、自らが主導権をもって歩んでいくことがこれからの時代に必要なことだと、2度のどん底を味わった私だからこそ強く感じています。