フリーランスでUターンは幸せか ―「僕、静岡に帰る」 Webデザイナー藤田義雄

フリーランスでUターンは幸せか ―「僕、静岡に帰る」 Webデザイナー藤田義雄
「地元のことは好きではなかったんです。田舎だし、東京のほうが面白いことがたくさんあると思ってて」。地元を離れ、東京での生活を選んだ藤田さん。期せずして地元近くに転勤。それでも東京への思いは強かったはずなのに、今は独立して地元で働く日々。「育った町に貢献できるのは嬉しい」と語るフリーランスに、どんな心境の変化が?Uターンして幸せになれたのでしょうか。【活躍中のフリーランスへインタビュー】
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フリーランスでもサラリーマンでも、地元とは離れられない運命

静岡県藤枝市に個人事務所 デザインスタジオ・エフ を設立した藤田義雄さん。

「もともと、地元のことは好きじゃなかった」ことから、東京で働くことを希望していたそうです。入社することになったのは、東京にオフィスのある制作会社。研修を終えて配属されたのは……住み慣れた静岡県でした。転職をして選んだのも、静岡県内の会社。

「好きじゃなかった静岡」の呪縛から解き放たれることのできない藤田さんです。

現在は、長年暮らしてきた静岡県藤枝市で、フリーランスとして働いています。「働き方としては、地元にいる今がいい」と語るように、すっかり地元を好きになった彼に、どんな心境の変化があったのでしょうか。Uターン後の働き方、フリーランスとして得たものを伺います。

デザイナーとしてスキルアップするために、東京から静岡へ

―フリーランスのデザイナーとしてご活躍なさっていますが、そもそもデザイナーを目指したきっかけと、フリーランスになった背景を聞かせてください。

小学生くらいから、デザインというよりも、絵を描いたり物をつくるのが好きでした。デザイナーという仕事に就くイメージがあったわけではないんですが、ある程度、そっちの方向に進みたいという気持ちを持っていたように思います。

大学は芸術系に進んで、そこでWebデザインのイロハを学んだこともあり、Webとデザインの知識を活かせて、スキルを高められる就職先を探しました。

最初に入ったのは、東京にあるWebデザインやシステム開発を行なう会社。やっぱり東京は刺激が多くて、地元と比べたらインプットできる量が段違いで良いなと思っていたんです。新しいものはやっぱり、まずは東京に入ってきますからね。

ところが蓋を開けてみると……研修を終えて配属されたのが静岡にある支社。同期が何名かいたんですが、自分は静岡配属になりまして。そこでは雑務をやりながら、基本的なWebの知識やITの知識を身につける期間を過ごしました。

その後、もっとWeb制作をバリバリやりたいと思って転職したのが、静岡にある会社です。東京で働きたいとか静岡に戻りたいという考えよりも、やりたい仕事に携われるかを考えたんですね。

結果として、静岡に戻ることになりましたが、期待した通りの仕事を手がけることができました。基本は地元の会社ですね。地域に根ざした小さいお店から中小企業のWebページ。あとは官公庁や自治体もありました。Web制作のノウハウをひと通り経験して、着実にスキルを付けられたように思います。

想像よりも早く訪れた、独立・フリーランス、Uターンへの転機

藤田さん

―転職して念願がかなった、という印象ですが、独立を決意したのはどんなきっかけがあったんでしょうか。

きっかけとしては、転職して5年目くらいになって、仕事の幅が広がったことにあります。会社として、「ずっと制作してるだけじゃダメだね」みたいな感じになってくるんですよね。よりフロントに、顧客折衝するような役割を求めるようになりました。

お客さんのところに訪問して、「ああしましょう、こうしましょう」と打ち合わせをしたり。色々なことを一人でできるようになったとき、「独立してもいいかな?」みたいな気持ちになったことがありました。

ただ、すぐに独立ということではなく、30代半ばから後半になって、それまでにある程度のお金を貯めて、事務所も構えられるようになったらくらいに考えていたんです。

―その計画がずいぶんと早まって、20代のうちに独立なさったわけですが。

ひとつは、僕が頑張りすぎちゃったというか。仕事ばかりしていたんですね。夜中の2時、3時まで普通に仕事を詰め込んで。そうすると身体に負担もあって、仕事でのミスも目立つようになり、少し休もうと決めました。

―そこで会社は退職?

そうですね。でも少し休んでから、また仕事をやり直そうって。どこかに就職することは考えていたんです。ところがゆっくりしている間に、以前お付き合いのあった方々とか、「仕事あるからやってみない? 」という話をいただけるようになりまして。

僕としては、出来る範囲でやらせていただこうと、少しずつ仕事を再開したのがフリーランスの始まりでしたね。

―「フリーランスでやっていくぞ」と決めたわけではなく、もう少しゆったりとしたスタートだったんですね。そこからどのように仕事を増やしていったんでしょうか。

お客さんがいる状態でスタートしたわけじゃないので、ゆっくりで良いかなと思う部分もあったんです。人づてに紹介をいただきながら、少しずつやれば。でも、食べていくためには仕事を増やさなきゃいけないし、就職するかきちんと独立するかを考えて。

案件を増やそうと思ったときに、ランサーズと出会うんですよ。それと同時期くらいに独立することを決めて。最初の頃は「力試しをしよう」くらいの感覚で、ランサーズを利用していました。並行して地元の人や友だち、その知り合いの方々を紹介してもらったんです。継続して声をかけていただくことも増えて、今では少し軌道に乗ったかな、という印象があります。

生活の基盤は地元で、スキルアップは東京の仕事を

富士山を見ながら仕事

―会社員時代は身体を壊すくらい働いていたわけですが、独立してから生活とか仕事のリズムに変化はありましたか?

良い意味で無理はしないって決めたので。朝9勤から初めて夕方6時くらい、途中にお昼の休憩を入れて1日8時間。無理のない働き方をするようになりました。空いている時間は……、カメラを始めたんですよ。ちょっといい一眼レフを買って、空き時間でパシパシっと。

他にも、地元の地域活性に取り組む SACLABO というNPOの活動に参加しています。空き家になっていた古民家を有効活用しよう、というプロジェクトがあって。取り壊しの話があったんですが、上手く使って地域活性させられないかって。

実は僕、昔から地元好きかっていうと……正直、嫌いだった。会社勤めのときも、地元で何か貢献しようとは気持ち的にはなかったんです。

でも、会社を辞めて、これからどう生きていこうか、どうやって仕事をしていこうかって悩んだときに助けてくれたのが、地元の友だちたちでした。「何かあれば仕事ふるよ」とか。ちょうど年齢的にお店を継ぐ世代で、色々任されるようになったんですよね。

町興しにしてもそうでした。30歳くらいになった世代で、「自分たちがやろう」っていう機運が高まったんです。じゃあ、僕もやってみようと思って。そうすると、どんどん地元に対して愛着を持てるようになりました。

藤田さん取材中

―フリーランスという働き方を選んだことが、地元に対する想いを持つきっかけになったわけですね。東京に対する未練みたいなものはなかったですか?

たまに東京へ用事があったときなど、静岡とは違う魅力があるとは思いますけどね。街中を歩くだけで刺激に溢れていたり、歩いている人たちがお洒落だな、置いてあるものがいちいち素敵だなとか、そういう発見は東京が段違い。

とはいえ、地元での生活や取り組みが楽しくなっているというのもあって、実際に働き方としては、今のほうがすごく良いなって思ってます。

―地元の仕事が忙しくなったこともあり、ランサーズで仕事を請けることはなくなりましたか?

ベースとなる地元の仕事があるからだとは思いますが、コンペの仕事だけ挑戦することがあります。やっぱり東京のほうが、名前のある会社の仕事があるじゃないですか。静岡にいたらチャンスがないような仕事ですね。

例えば実際に手がけた例を挙げると、東京や大阪に多店舗展開している美容室さんの仕事。独立した自分の会社だったら、絶対に任せてもらえなかったでしょうね。

そういう仕事が流通していて、静岡にいながら腕試しをできるというのが魅力なんです。全国のクリエイターが提案する中で、自分も本気で提案して、その中で選ばれたら嬉しいですし。東京でも通用するデザインができるんだなって、やり甲斐に感じますよね。

選ばれなかったとしても、競合さんはどんな仕事をしているんだろう?とか勉強になりますし、刺激的なクリエイティブという意味では価値がある。

静岡の中だけで仕事をしていたら、流行に遅れていたり、昔のことをまだやっているんだね!みたいな状態になると思うんですよ。そういう危機感はあります。やっぱりクリエイターとして新しいものを求めたり、挑戦はずっとしていきたいですから。

そういう欲求を満たしてくれるので、独立した後もランサーズで楽しんでいますよ。

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