激務による体調不良! 「もう会社辞めよう」と諦めたことで見つかった、無理のないライフスタイル

激務による体調不良! 「もう会社辞めよう」と諦めたことで見つかった、無理のないライフスタイル
就職氷河期の時期を経て、やっとの想いで入社した広告代理店の世界。しかし、連日の残業、常に迫る納期のプレッシャーから大熊さんは体調を崩してしまいました。退職後、リスタートを誓うもうまくいかない30歳からの転職。そんな時、偶然、声をかけられた「原稿を書いてほしい!」という依頼で、彼女はフリーランスという働き方に出会いました。自分にあったライフスタイルを手にした、女性の物語です!
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就職さえままならない超氷河期。それでもやりたい仕事をしたい

私が大学を卒業したのは、1999年の3月。そう、就職氷河期のはしりです。学生の多くが内定獲得に日々奮闘するもなかなか内定をもらえない、そんな時期でした。

とにかく内定をもらうだけでも厳しい状況なのに、私が目指したのは、出版社そして広告代理店。しかも営業職ではなく制作職。

両親から地元に残ることを懇願され、地元企業もしくは支社勤務可能な企業への就職を目指し、就職活動するもあえなく惨敗。

そもそも地方都市での勤務、新卒での採用が少ない業界であることに気付いたのは、まわりの友人たちがようやく一社の内定を獲得し始めた頃でした。

私もやりたい仕事を諦めてこのまま採用してくれる会社を見つけるか……と悩んでいた矢先、アルバイト先で知り合ったフリーライターの方に「この業界はほとんどが経験者の中途採用。まずは経験を積んでみては?」とのアドバイスを頂き、結局、就職することなくその方のアシスタントとして4カ月経験を積みました。

やっとの思いで念願の業界に就職したものの……

作業机

4カ月の経験が功をなしたのか、その後、総合広告代理店の名古屋支社の制作部に入社。新卒では叶わかなった広告代理店への入社です。しかし意気込んで入社した会社の業務量は、業界経験4カ月の私にとって想像をはるかに超えるものでした。

また欠員補充の中途採用であったため、引き継ぎ期間も短く、わからないことばかり。わからないことを聞く先輩社員もいない状況の中、連日続く残業や自分のスキルのなさに対するいら立ちに加え、なんとか納期までに仕事を仕上げないといけないという焦りとストレス。

そんな日々が続き、とうとう体調を崩してしまいました。病院に行ったところ、すぐに入院することに。寒い冬の日でした。若かったせいか、幸い短期間の入院で済んだのですが、両親からの強いすすめもあり、逃げるようにしてその会社を辞めてしまいました。

やっぱり私にはこの仕事しかない

しばらくして体調が戻り就職活動を再開。ハローワークに通ったり、就職説明会に参加したり。出身大学の就職課にも行きました。

新卒の時に出版・広告の仕事以外にまったく目を向けていなかったため、この時は出来るだけ多くの業界や職種について知りたい、他にも何かやりたいと思うことがあるはずだと考えていたのです。

しかし、沢山の求人票を前に心が動くのは、やっぱり広告の仕事。あんなにやりたくて選んだ仕事を中途半端に放り出してしまったことに後悔もあったのでしょう。再び広告代理店への就職を目指し、活動を再開した頃には春になっていました。

この時は短い期間ながらも広告代理店での実務経験を評価していただき、予想よりも早く再就職出来ました。その後も自分の生活の変化と共に、制作会社から総合広告代理店、ハウスエージェンシーといくつか転職はしましたが、忙しくもやりたい仕事が出来ている充実感は感じていたと思います。

まさにピンチはチャンス!? だったのか

女性

そんな中、転機は突然やってきました。風邪をひいてかかった病院で別の病気の可能性を指摘されたのです。全く自覚症状がなかった私は半信半疑ながらも、すぐに専門医の元にかけこみました。

しかしこの病気は自覚症状がないのが特徴のひとつらしく、すでに開腹手術以外の治療法はなく、すぐに手術日も決められました。

当時、いくつもの案件を抱えていた私は、入院のため休ませて欲しいと上司に報告するのが苦痛で仕方ありませんでした。入院そして手術、しばらくの間の自宅療養。どうしてこんな病気にかかってしまったのだろう?

そればかりを考えて過ごす日々でした。そして気がついたのは、好きだとばかり思っていた仕事が自分にとって大変なストレスだったということ。

それに気がついた時、もう広告の仕事はいいじゃないか、と自分に言い聞かせる私がいました。療養を経て、何度か目の転職活動を再開した時に決めたことは、自分の生活にあった仕事・体の負担の少ない仕事を探そうということです。当時30代前半でした。ところが30歳を超えると未経験でも可能という仕事はぐっと減ってしまいます。

また同じ業界なら、さほど気にならなかった転職回数も他業界ではアザとなり、書類審査さえ通らない日々が続きました。そんな時、たまたま知人の紹介で知り合った方に「社員で雇うことは出来ないけど、書いて欲しい原稿がある」と相談を受けました。

仕事が決まらない日々を過ごしていた私は、就職活動の合間に書けるかな、と軽い気持ちでお請けしたのです。この仕事で初めてフリーライターとして仕事を行ない、後のフリーランス転身へと繋がっていったのです。

フリーランスで働けることに感謝を

もともとフリーランス志向ではなく、出来れば会社員として働きたいと思っていた私が、その後、数年に渡りフリーランスとして生計を立てていられることの一つに、クラウドソーシングというサービスがあります。

インターネットを通じて仕事の発注を頂く、クライアントの顔が見えない仕事に当初は不安を感じることもありましたが、対面での打合せもメールでのやりとりも結局は同じ。

相手のことを思って仕事が出来るかどうかだと気づき、今ではクラウドソーシングからの仕事もずいぶん増えました。

フリーランスの仕事は、たしかに不安定であり、リスクも少なくありません。雇われていないことに不安を感じることもありますが、それでもフリーランスを続けているのは、自分の仕事そして生き方を自分で決められるからでしょうか。

地方都市在住でありながら、それを感じずに仕事が出来るのが、クラウドソーシングの魅力。私が自由に仕事が出来るのは様々なサービスやまわりの方々のおかげであることを忘れず、感謝の気持ちを持って仕事に取り組むことで、社会に貢献していければと思っています。

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