米・オースティンで家族と暮らす女性翻訳家 兼 フリーライターが歩み始めた一本の道

米・オースティンで家族と暮らす女性翻訳家 兼 フリーライターが歩み始めた一本の道
アメリカ在住のグレイ エリさんは、現在、翻訳家・ライターとして活躍をしているフリーランサーです。国際結婚後、日本で約10年間、気楽な専業主婦生活を送っていた環境から一転。アメリカへと生活の場所を移した彼女はクラウドソーシングを始めます。子育てと並行しながら、自分の夢も追い続けるアメリカのフリーランサー・エリ さんのこれまでの歩みや今の生活をご紹介します。
LANCER SCORE
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30代で初めての海外生活、目の前に現れた新しい階段

海辺を歩く親子

25歳のときに縁あってアメリカ人の男性と国際結婚をし、2人の男の子を出産した後は専業主婦として育児に専念する日々を送っていました。転機が訪れたのは、2012年でした。上の子が7歳、下の子が4歳のときに、家族4人でアメリカへの移住を決意したのです。

一家の大黒柱であった夫はアメリカで職探しをすることになりました。ですが、なかなか仕事が見つかりません。日本での気楽な専業主婦生活から一転し、新しい土地で2人の子どもを抱え、貯金を切り崩す生活を余儀なくされました。その時に『私も働かなくては』という危機感が芽生えたのでした。

とはいえ、そこは異国の地。アメリカで学歴も職歴もない私が簡単に職に就けるわけがありません。それどころか、日々の生活に慣れるのに精一杯。

日本では当たり前にできていたことが、アメリカでは分からないことばかり。一人前の大人だというのにできないことが多すぎて、自己嫌悪に陥ることも多々ありました。

アメリカ生活最初の1年間は、今まで上ってきた種類とは全く別の階段を、薄暗い中1段目から手探りで必死に上っていくような、そんな感覚でした。

自分にできることは何だろう? 自分の人生を振り返る

森の中にいる親子

子どもがいるので、外で働く場合には預け先が必要です。アメリカでは義務教育の年齢に達していない子どもを預ける保育園の費用は非常に高額で、パートに出る程度では確実にマイナスになってしまいます。

そういった理由もあり在宅で何か仕事ができないだろうかとインターネットで検索し、見つけたのが「ランサーズ」でした。当時はアメリカへ引っ越してきたばかりで、英語は日常会話程度のスキルしかありませんでした。

自分にもできる仕事があるだろうかと応募一覧を数日にわたりチェックしていたところ、ひとつの依頼内容に目が留まりました。それは、ネットショップを経営している人からの、商品情報入力作業の仕事依頼でした。海外ブランドの商品も扱われており、簡単な翻訳作業も伴います。

私には、若い頃に数ヶ月間だけ翻訳学校へ通い、すぐに諦めてしまった過去があります。あれから10年ほどが経ち、翻訳家になる夢が再度ふくらみ始めていたところでした。

勉強になるという思いもあり勇気を出して提案をしてみたところ、幸いそのお仕事を任せてもらえることになりました。ランサーズ未経験の私を採用してくれたネットショップのオーナーさんには、今でもとても感謝しています。

それが、専業主婦生活約10年間たった私のフリーランスとしての最初のお仕事となりました。その後、英語のスキルを磨くために現地の語学学校へ通学。翻訳の通信教育を受講し、翻訳家としての第一歩を踏み出しました。

思いもよらないところから舞い込んだ翻訳家への足がかり

海までの道

ランサーズでライターなどのお仕事を少しずつさせてもらいながら翻訳の勉強を続けていたときに、夫の仕事の関係でサンフランシスコへの引っ越しが決まりました。

サンフランシスコには翻訳の学校があると耳にしたことがあり、とあるインターネット掲示板にサンフランシスコの翻訳学校についての質問を投稿してみたところ、とても丁寧な返信をくれた人がいました。

それが、今登録をさせていただいている翻訳会社の女性CEOだったのですが、当時はふとした思いつきで行った掲示板への投稿が、翻訳家としての足がかりになるとは思ってもみませんでした。

残念ながらサンフランシスコの翻訳学校は閉校されてしまっていたのですが、その方が主催する日本人向けの翻訳ワークショップへ参加させてもらうことができました。

普段はフリーランスとして在宅で仕事をしているので、クライアントとの連絡はメール、スカイプなどが多く、実際にお会いする機会はほとんどありません。なので、ワークショップで実際に顔を合わせたことのある翻訳仲間たちは、今では私にとってかけがえのない存在となっています。

大きなプロジェクトで一緒に仕事をしたり、情報交換をしたり、気軽に質問ができたりする人がいるというのは、とても心強いものです。

その後、夫の仕事の都合でサンフランシスコからテキサス州のオースティンへ引っ越したのですが、インターネット環境さえ整えばすぐに仕事が再開できるフリーランスのフレキシブルさを有り難く感じました。メールを通じ、現在でもサンフランシスコの仲間達とは変わらずにお仕事をさせていただいています。

母親としての自分と、フリーランサーとしての自分

在宅のフリーランスとして仕事を始めて2年ほどが経過し、繁盛期は週末にも仕事をするようになりました。仕事が忙しくなると、どうしても家のことは後回しで子どもたちのことも以前のように構ってあげられなくなってしまいます。

母親業と仕事、完璧に両立できるのが理想ですが、なかなかうまくいきません。最初の頃はそんな自分を情けなく思い、また子どもたちに対する罪悪感もありました。仕事をしている母親だったら、誰もが持つ葛藤なのかもしれません。

ですが、子どもは日々成長しています。11歳と8歳になった現在では、私が子ども部屋へ行くと嫌がられることもしょっちゅうです。最近では、子どもたちが巣立った後でも自分には打ち込める仕事があることを嬉しく思えるようになりました。

子どもたちの手が少し離れてきた今、これからの自分の人生について考えることが増えてきました。現在は、IT専門の翻訳家を目指し日々努力を重ねています。自分の好きな仕事を追求できるのはフリーランスの良いところですが、夢の実現には自分自身のスキルアップも欠かせません。

母親としての自分とフリーランサーとしての自分、両方のバランスをうまく取りながら、今後も夢に向かってゆっくりと走っていきたいと思っています。

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