日本のノマドワーカーとは ~物を減らす働き方~

日本のノマドワーカーとは ~物を減らす働き方~
ノマドワーカーとは何か。インターネットや書籍でよく見かける言葉です。フリーランスとの違いや、ノマド批判などが叫ばれて久しいです。その中で「ノマドワーカーとは」論ではなくて、日本社会における「ノマドワーカーとは」を考えてみます。
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そもそも、ノマドワーカーとは何なのか

一般的にノマドワーカーとは、仕事する場所を定めずに自由に仕事をする人たちのことを指します。そもそも、ノマドワーカーとは「遊牧民」のことを指し、佐々木俊尚氏の著作『仕事するのにオフィスはいらな~ノマドワーキングのすすめ~』で広まった言葉です。

この「ノマド」と言う言葉は、仕事を選ばずに生きる人を指すことがあれば、一匹狼的な自営業を行なう人を指すこともあります。また、狭い意味で言えばオフィス、デスク、さらには肩書きさえも持たずにインターネットのつながる場所を転々とする人を指します。

「ノマドワーカーとは」と聞かれても、ガッツリと「これがノマドです」と明確な解答がない言葉と言えるでしょう。まさに「遊牧民」のように言葉の定義も時と場所、そして人と共に変遷するのかもしれません。

どうしてノマドワーカーには批判論が出るのか>

「ノマドワーカーとは」で検索すると、セットで出てくるのは「ノマド 続かない」などの言葉です。なぜ「ノマドワーカーとは」と共にネガティブな意見が出てくるのでしょうか。

ノマドワーカーとは、言ってしまえば自営業です。たとえば、カフェを自営で行なっている人は、カフェ経営者です。ですが、フリーランスとして活動している人で「ライターとは」何をする人か聞かれると、返答に詰まることがあります。

総合的に色んな仕事をしているからです。「ノマドワーカーとは」という質問も、「ライターとは」と同じだと思います。フリーで活動する上で難しいのが「ブランド化」です。

自分から「こんな能力がある」というのは簡単でも、誰かから「あの人はこんな仕事ができるよ」と評価されるのでは雲泥の差があります。

そう考えると、自分から「私はノマドです」と名乗るのは、ちょっと違うかもしれません。要するに、「ノマドワーカーとは」に対する批判というよりは自分から「ノマド」と名乗る人に対して抵抗を感じているのだと思います。

結果として「ノマドワーカーとは」という問いに対する答えが曖昧になり、社会で異質な存在として映るのに繋がっているのだと思います。

こんな時代だからこそ、仕事は何をしようが自由だと思う

僕は世界的金融危機である「リーマンショック」を経験しています。2008年に大学3回生だった僕は、あの大不況の中で就職活動を経験しました。もちろん、すんなり就職とは行かず会社を探して各都道府県を転々としたのを今でも覚えているものです。

活動中にも会社が経営破綻するのを目の当たりにしながら、何とか仕事を見つけました。ですが、ひとたび景気が回復すると、私より後の学生たちは各企業によって囲い込まれていきました。

そんな風景を見ていると、会社や時代に翻弄される自分は、何とも惨めだと感じてしまいました。私の場合は、会社にポジティブなイメージを持てなかったから「ライター」という道を選んだだけです。

その「選択」に対して自分が納得できれば問題ないと思っています。むしろ、経済としては全体的には袋小路な日本だからこそ、仕事は何をやってみてもいいと思う。

「ノマドワーカーとは」に対して消極的な今の労働環境こそ、私は最も劣悪だと感じています。ただ、「ノマドワーカーとは」という選択に批判が出ているのは、日本経済がちょっとずつノマドに注目している証拠だと思います。

オフィスを解散して社員を「ノマドワーカー」にした日本の会社

私が「ノマド」について最も驚いたのは、オフィスを無くして全社員をノマドワーカーにした会社です。その会社の社長は、現代においてオフィスという場所は物理的な制約を作るばかりで、いいことはないと判断してオフィスを解散しました。

「ノマドワーカーとは」という問いにひとつの解答を出したと言えます。オフィスが無くなることで、社員の中には育児にかかわる時間を作れて生活バランスを改善できたようです。

しかし、各社員には高い自己管理能力が求められます。管理能力がないと、休暇と仕事のバランスが取れず成果が出せないのが問題点です。

また、会社がないため登記の問題、さらにはオフィスのない社員を「社員」とどのように定義するのか。さまざまな法律と整合していくことが課題になっています。

vこれは、法律で議論されるほど「ノマドワーカーとは」という内容が議論されていない証拠だと考えられます。

能とノマドワーカーのミニマム化の関係性

日本の古典芸術である能。能は「幽玄美」が描かれた「謡と舞」を中心に展開する物語です。実在した人物が幽霊となって現れ、生きていた頃の恋物語や戦物語を回想するなど、「神・愛・情念」の精神世界を描いています。

死者の世界を中心に描く能ですが、当然のことながら役者は生きています。この矛盾を克服するため、能では極力道具を用いずに舞台を成立させます。

この無駄を排除したミニマム化によって舞台を成立させようとする発想は、現代の労働環境にも通じるものがあると思います。企業はできるだけコストを削減し、そのなかで成果を出そうとしています。

実際、全社員がノマドになって「オフィス」という物質を無くすことで、利益だけでなく社員の労働環境を整えています。企業目標の達成のためならば、会社の「理念」を理解したうえで、場所にとらわれず仕事をするノマドワーカーが増えてもいいと感じています。

むしろ、「最小のコストで最大の利益を生む」ためには、社内にノマドワーカーを増やしていく気概が、企業にも必要なのではないかと私は思います。

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