20代、40代、80代の実践者が語る、長寿時代のLife&Work

20代、40代、80代の実践者が語る、長寿時代のLife&Work
「人生100年時代」に生きるライフスタイルの実践者である20代、40代、80代の3名の方にこれまでの経験や、今後の生き方・働き方について語っていただきました。ー『LIFE SHIFT』~あなたの人生も、100年つづく~ 20代、40代、80代の実践者が語る、長寿時代のLife&Workー の第2部で行われたトークセッションの模様をご紹介します。
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実践者が語る100年時代の生き方とは

第1部では東洋経済新報社『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』編集長の佐藤氏をお招きしてランサーズ代表取締役社長の秋好との人生100年時代についての対談が行われました。第2部では、長寿時代に生きる自身のライフスタイルを、ランサーズで実際にご活躍頂いているそれぞれの世代のフリーランスである20代、40代、80代の実践者の方に語っていただきました。前半では今回作成いただきましたご自身の「100年年表」を基にお話いただき、後半ではなぜそういった働き方、生き方を考えるきっかけになったのかをインタビューさせていただきました。

パネラー・モデレーター紹介
山田 祐太氏:大阪府在住。大学を中退しECサイト立ち上げなどを経て、HPやLP制作のWebディレクターとして活躍。発注側としてランサーズを利用しているうちに、制作に携わりたい気持ちが芽生え受注側へ。成長著しく、Lancer of the Year 2015,2016と2年連続受賞。

石水 修司氏:愛媛県在住。3児の父。剣道四段で、地域の小学生に指導する腕前。大手企業でコンテンツ制作に従事。「顧客から幾らを支払ってもらえるスキルなのか」を知るために、ランサーズで活動開始。地元・四国での開業に不安もあったが、全国の仕事を受けられるクラウドソーシングに背中を押され、2015年に独立。CG制作および映像制作を手掛ける。

島村 泰治氏:1935年生まれ。終戦後、アメリカに渡り現地大学を卒業する。その後、外国公館の主席通訳/翻訳官として勤務し、田中角栄が日中国交を回復させた際の声明の英訳、レーガン元大統領の声明の翻訳などを手がけた。現在はランサーズを利用して幅広くフリーランス業をしている。

秋好 陽介:ランサーズ株式会社 代表取締役社長。大学卒業後2005年にニフティ株式会社に入社。複数のインターネットサービスの企画/開発を担当。2008年4月に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を創業。日本初のクラウドソーシングサービス「Lancers(ランサーズ)」を提供している。

1993年生まれ(24歳)「就職ではないキャリア」

山田:大学の1回生で、恥ずかしながら、もう、すぐに辞めちゃって。辞めるきっかけとなったのが、中学生の頃からからおこなっていたインターネットビジネスです。大学での勉強をしていて、「このまま勉強しててもいいんかな。自分のためになるんかな。この時間もっと活用できないのかな」と、ずっと自分で何かできないだろうかと時間ができる度に考えていました。

そんな時、世間では中国が話題になっていて。レディースのアパレルを売ってみようと思い輸入したんです。非常に安く輸入できて質もよかったので、これはいけると思って、計画を立てました。

でも、大学を辞めなければいけないなと思って。両親や周りにも最初は反対されましたが、自分の計画を伝え続けました。「しゃーないわ、もう、あんた、聞かんしな」となり最後には辞めさせてもらい、それで、アパレル通販を始めました。

しかし、結局考えが甘かったというか、大企業はやはり安くて質も良く、広告費もかけられるのもあり、やり始めて3カ月ぐらい経ったころにもうダメだと思ってしまって。

そのときにネットショップを作ったんですよね。ランサーズを利用してネットショップを作ったんですが、そのときに制作してくれた会社のWebディレクターさんの仕事ぶりが、すごく格好よかった。「自分もやってみたい!」と思いました。

ホームページは自分で中学生の頃から作っていましたが、Webディレクターがどんな仕事なのかは知りませんでした。やらないという後悔をしたくないと強く思い、2014年から、Webディレクターの勉強をずっとしてきて、とんとん拍子でここまで来たという感じです。

ワークライフの「ワーク」ですが、何事にも挑戦していたいですね。やらない後悔を本当にしたくないんです。自分への投資が必要なのであれば投資もして。

一方で「ライフ」では結婚、子育て、家族とのんびり暮らしたいと思います。結婚なんてできるのかなって思う部分もあるんですが(笑)結婚には早いと思っているので。今は何事にも挑戦して、多くの経験をしたいですね。

1969年生まれ(48歳)「LIFE = WORK」

石水:私は今年で48歳になります。今日、会場におられる方々の世代に一番近いのかなと思います。愛媛県出身で今も愛媛県で生活をし、愛媛県でフリーランスをしております。

私は大卒で一般企業に就職しました。23年間、一般企業で働きました。いろいろやらせていただいたんですが、働いていたときから常々疑問に思っていたことがあります。その中で、とくに疑問に思ったのが、「このまま働いていていいんだろうか」ということです。

最近では40代は恵まれない世代、ハズレを引いた世代と言われると聞きます。 50代、60代の人は、バブル世代で働けば給料がどんどん上がっていってボーナスもそれなりに、役職にも就いていい生活ができた。40代は、そういった方がいるので役職もせいぜい上がっても課長まで。上がらなくても主任や係長まで。上がつまって上がらないと。

そういう環境を見て、30代以下の皆さんはこのままじゃいけないと思って、人生をシフトさせ、スキルを磨くというふうに転換ができる。けれども、40代はそういったスキルを磨く余裕もなく、企業の中に埋もれることもできずに、ハズレを引いた世代だというふうによく言われていました。私もそれを聞いてすごく悩んでいました。

それで、2015年に独立したわけなんですが、やってみないと何事もわからないということで挑戦しました。企業の中にいたら自分の実力なんて、全然わからないですよね。映像制作とCG制作で独立したんですが、CG制作というのは大手がやっていることなんですよね。個人でやっていることなんてあまりありません。

だいたいは、多くの資本を持ち、多くの人員を雇ってやるようなところです。そこに個人が当然勝てるわけがないと思います。でも、ランサーズという仕組みがあったんですね。どういうことかというと、個人が会社、あるいは個人に向けて、自分のスキルを売ることができる、能力を試すことができる。

まず、企業にいて自分の能力をよそに売るなんてことはできないと思うんですよ。会社の定款に書いてあること以外はやってはいけません。でもランサーズであれば、それはできます。私は、そのランサーズの仕組みをフルに使って、自分の能力がどれぐらい通用するのかということを試してみました。

実際にやってみて、お客さんからレビューをいただいて、もちろん厳しいお叱りの言葉をいただくこともありましたが、お褒めの言葉をいただくこともありました。そして、どんどん成長していき「これはいけるんではないか、愛媛県という田舎にあってもいけるんではないか」そう思って独立をしました。

人生の「ライフ」とありますが、独立を起点にやりたいことがまだまだたくさんあるんですね。あれもやりたい、これもやりたい、いろんなこと出てきます。それは、今やっているCG、映像をやりながら思いつくことなんです。自分の好きなこと、得意なことで独立しました。私はCG好きだったので独立しました。でも、それだけではやっぱり食っていけないんですよ。CGだって当然大手には負けます。いつまでもCGの需要があるとは限りません。

一部の対談の中で、変化するスキルというふうにおっしゃっていましたが、その変化というのをまったく新しいところがポンと持ってくる、ということももちろんあると思います。でもそれって実は、難しいんですよね。

今、やっていることでちょっと変えるだけで、違う分野、違う顧客、違うニーズに対応することができるということは必ずあると思います。そういうところに徐々に、シフトしていくだけでも、十分な変化だと思いますし、そういうことを楽しんでいける人間が、やっぱり独立して1人で食っていける人間になるんじゃないかと思っています。

挑戦することはもちろん大事なのですが、結果、自分が成長できていると自覚できるものがとても大事だと思っています。だからこそ続けられるんだと思います。自分が成長したなと思えるものがあれば、見返りにお金が返ってこなくても、それは人生の幸せということにはつながっていくのではないかというふうに思っています。

独立して3年なんですけれども、挑戦ばっかりです。でもその中で、自分が成長できた、今回はお客さんのためになって、自分にもよかったなと思うことだけが、やっぱり、仕事の軸として残っています。

1935年生まれ(82歳)「生涯現役の生き方とは」

島村:さっきから会場を見回しているんですけど、皆さんの年格好と差が大き過ぎてね、私がお話することが、どんな役にたつかなと考えていました。私、生まれが1935年でございまして、本の中で紹介されているジャックの生まれが1945年ということですから、10年違うのですよね。

ちょうどアメリカへ行ったのが57年頃です。エルビス・プレスリーが有名になった頃で、生で見た世代なんです。そのときにアメリカの実態を「自分の国を負かした国」はこういう国なんだということを、実際に体験して帰ってきたんです。そういう人生の出発点が実はあります。そういう経験があって、私は日本の企業に勤めたことがないんです。

みんなが英語をしゃべる世界です。もちろん、それが道具になっているわけですから、しょうがないですよね。そういう使い方でもって、今まで過ごしてきた結果が、今ランサーズさんとお付き合いしているという結果につながっていくんですが。

実際、私は現在82歳ですから、100歳と簡単におっしゃいますけど、あと20年切っていますね。20年の間に、私はどうするかという話を、実はこの瞬間でも考えているわけです。

材料といえば、私は言葉を日本語でも書くし、英語でも書くということで、当然日本語と英語をくっつけた翻訳が私の仕事の中心になっています。同時に、アメリカに行ったとき、日本というものが、アメリカにどれだけ知られていないかということをしみじみわかりました。ですから、それを埋めると言うと大げさですが、この年になって、何とか日本の良さを「フジヤマ、ゲイシャ」だけではなくて、いろんな面があるぞということを英語で、いろいろ書き物をしています。

その場所になっていただいているのが、実はランサーズさんでございまして、私、年寄りなものですから、精力突き詰める時間があまり多くない。ですから、割と単価が高くなっちゃう。

これからの話ということにもするんですが、私は、母親が100歳手前で亡くなっていますから、17、8歳しか生きられませんね。この18年の中で何をするかというものを、これをして、これをするって段階を組んで、プログラム、実は組んであります。

組んである中に、今言ったように、文化のことも含めて、自分がこれから何を残していくのかということも含めて、生活のことと同時に、日本に対する貢献度みたいなものの中に少しでも社会にふれることができればというきっかけや、そのはしごになっているのが、実はランサーズさんだと感じています。

インタビュー

第2部前半ではそれぞれのこれからの人生を「ライフ」と「ワーク」を基に語っていただきました。第2部後半では、なぜそういうふうな働き方、生き方を考えるきっかけになったのかというのをそれぞれ3名の方へ、ランサーズ株式会社代表取締役社長の秋好よりインタビューさせていただきました。

秋好:まず山田さん。大学を途中で辞めて起業し、でその後フリーランスとしてということなんですけれども、私は大学を卒業して、普通に企業に就職するという選択をしたんですよね。周りは、恐らく多くのご友人が企業に就職するという道を選んだ中で、自分だけ別の道をいくことに恐怖はなかったんでしょうか。

山田:いや、怖かったですね。間違いなく。怖いけど、でも、やりたいという気持ちのほうが強かったですね。どうしてもやりたかった。

秋好:なるほど。それっていうのは、世代という話が第1部でありましたけれども、周りにそういう人多いですか。世代の特徴なのか、山田さんの特徴なのか。

山田:でも、いますね、私の周りにも。実際に大学就職して、ご飯食べていても、大学卒業して就職しても、「いや、俺、今の会社で絶対やっていかれへんわ。おまえみたいなフリーランスになりたいわ」という人もいるので。やっぱり、同じ考え人もおるのかなと思いますね。

秋好:20代のその世代の方というのは、新しいチャレンジする人が多いというか、時代の最先端だと言われていたりしますけれども、ご自分で認識があるのかとか、なぜご自身の周りにそういう人が多いのかとかって、何か感じるところはありますか。逆に、30代、40代とか、60代とかの方を見ていて、価値観のギャップとか。

山田:やっぱり価値観は全然違いますね。同じ世代でも「俺はずっと会社辞めるつもりないし」という人もいますし。「俺、もう絶対辞める、辞める」といって、「フリーランスになるわ」といって、勉強している人もいるので。

秋好:わかりました。逆に多分、30代、40代の方で、起業したいよ、山田さんみたいにしたいよ、という方々への、ぜひアドバイスを何か。

山田:絶対、不安と怖いという気持ち、あると思うんですよ。でもその「怖い」よりも、やっぱり、やらな後悔するというか、やりたいという気持ちのほうが強いなら絶対、やったほうがいいと思いますね。怖い気持ちを押しても、その気持ち、押してまでやったら成功に近づいていると思います。

秋好:ありがとうございました。石水さんに、お聞きしたいんですけれども、大手食品会社、きっと、われわれも知ってる会社なのかもしれないんですが、そういうところに就職して、世間からもと、きっといわれ、そのキャリアを捨ててというか、フリーランスになるって、山田さんとは、また違った恐怖が、あられたんじゃないかなと思うんですけれども、怖くなかったですか。

石水:怖いのはやっぱり怖かったです。私の場合、家族、嫁も子どももおりますので。貯金はそんなにはなかったので、独立してすぐ給料がもらえるようなかたちでないと、独立は許さないという条件でしたし。

ただ、やっぱり思ったのが、このまま定年になって退職金をもらったとしても、年金、そんなにもらえない。じゃあ、どうやって食っていこうかと考えたときに、やっぱり貯蓄って、自分が稼げないから必要なんであって、自分が決まった額を、きちんと稼げる能力さえあれば、ちょっと言い過ぎかもしれませんが貯蓄は要らないと思うんですね。

であれば、自分が何を続けられるか、何であればできるのかと考えたら、自分が本当にやりたかったことを続けるほうが、続けられるというふうにも思った。

秋好:結構、石水さん、さきほどプレゼンのときも、もう、楽しそうにライフもワークもというか、チャレンジしたいんだと感じました。楽しめてる源泉は、やりたいことをやれているからなのでしょうか。

石水:そうですね。先ほど、私の経歴の中に、「MZ80K2(参考/http://www12.plala.or.jp/mz80k2/computer/mz/mz80k2.html)と出会う」と書いてあったと思うんですけども、小学校6年生のときに、パソコンに目覚めたんですね。一度、就職は、コンピュータがあまり知識がないないからやめようと思って、普通の会社に就職したんですけど。結局、戻ってくるんですね、やりたいことに。

秋好:ありがとうございました。島村さん、大変、お待たせしました。先ほどのプレゼン5分じゃ、全然足りなくてあと20分ぐらい聞きたいなと思っていたんですけれども、その10歳のときに、日本が、絶対に負けないと言われていたのが負けたというのは、宇宙人が来たぐらいの圧倒的なパラダイムシフトだったと思うんですけども。

とくに、会場の皆さんを含め、シニアになってどうしようかと悩まれてる方が、ものすごく多いと思うのですが、島村さんは、82歳になっても働いて、とても生き生きとされてらっしゃるんですけど、どうすれば、そういうふうになれるんですかね。

島村:難しいですね(笑)結局、自分が生まれた時は経験はゼロじゃないですか。だんだん年を経てくると、埋めて知恵が入ってくるじゃないですかね。その量は、多分、年を取っていくに従ってバランスが変わらないと思うんだよ。そうするとね、私はさっき言ったように、戦争に負けたというところの経験が大きかったんじゃないかと思うんです

突然、1945年8月15日に日本が戦争に負け、とても経験できないような経験だったんですよ。そのときに、何を思ってたか覚えていません。ただ、やる気は十分にあった。経験の行き先として渡米を選んだんです。日本を負かした国を見たい、ということだけですよ。

アメリカに行ったときには、もう打ちのめされた思いました。そのときに、自分の持ってる知恵と経験を増やすのは、ここだと思ったんですよね。
英語の勉強もやったし、英語翻訳もやりましたね、好きなもんですから。それで、そういう、じわじわとエネルギーがあるのものに、私の心は膨らんできたわけですよね。

皆さん、といっても、あまり世代が違って、私の経験は通じないんですけれども、今私は82歳で年をとってくると、活力は相当少なくなってきましたが、経験は、こう言っちゃ何だけど、結構あると思うんですよね。

秋好:すばらしいものがあると思います。

島村:その経験を何かうまく出して、社会に「どうだ?おまえら知ってるか?」みたいな話を、何かやりたくてしょうがない。ランサーズは、そういった意味でもいいはしごと言っていい場だと、私は思うんですよ。

秋好:もう、ぜひ100歳と言わず、120歳でも、140歳まで、ご活躍いただきたいです。この度はみなさん、ありがとうございました。

「人生100年時代」に向かって

第1部では「人生100年時代」に向かっていくにあたり、これまでの既成概念が変革していくことが述べられていました。第2部では20代、40代、80代それぞれの方のライフスタイルや経験についてを語っていただきました。

新しい時代においても、個人やそれぞれの世代が持つ経験や意思が、これから迎えるであろう新時代に活きていくのではないかと思います。

皆さんはこれからの「人生100年時代」にどんな生き方をしていきますか?

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