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提案作成者
日立製作所でのプログラマー歴26年。サーバ構築やネットワーク設計も手がけた。
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- ブロンズ
- 個人
- 奈良県
1984年日立製作所関西支社入社。
1ヶ月の新人研修をえて、経理部情報管理課に配属。日立製大型汎用コンピューター(HITAC Mシリーズ)のプログラマー・オペレーターを担当。プログラム言語は、主に、COBOL、アセンブラ。社内営業マンの注文に応じて、例えば、顧客別売上一覧表等を年間100本以上プログラミング、その一覧表を提供。
2000年問題を率先して、プログラム見直しを推進。無事、2000年を超えるもトラブル無し。
2001年から2人の主任の業務を引き継いで、大型汎用コンピューターの機器構成変更を担当。
2002年5月、経費の高い大型汎用コンピューターから、経費削減の為に、Windowsサーバに業務移行。その移行ツール開発・ノウハウを私が開発。全国支社(北海道から九州まで)の中で、私の配属していた関西支社が一番に移行完了。その移行ツール・ノウハウを、北海道支社から、九州支社まで、出張して回って、提供。
又、私と後輩・部下一人とで、関西支社の中で、サーバ構築・ネットワーク設計を担当。Webサーバ内で、掲示板システムを構築。これも、全国支社に提供。東京本社から、1等の表彰状を受ける。この時のサーバでは、Access、後に、Oracleデータベースに移行、データベース操作言語も、OracleのSQL言語で組み直し。
2003年3月から、プログラマーを東京本社に集中化し、支社では、社内PCの管理のみになった。その頃から、社内ユーザ対象に、ヘルプを担当。PC操作のトラブル、PC操作のヘルプを電話応対、リモートツールで、ユーザのPCを遠隔操作。
2006年1月、会社からの帰り道、横断歩道を渡り歩いている時に、左から脇見運転していた市バスに跳ね飛ばされ、右脳挫傷。「高次脳機能障害」という後遺症が残り、プログラミングが出来なくなったので、26年間勤めていた会社を辞職。
2007年4月、スマホアプリ開発プログラム言語の主流となった「Java」を知り、近くのパソコン教室「AVIVA」で体験受講した後、「Javaプログラミング」を受講。2008年1月に受講修了。尚、各ステップの最後に実施される試験問題は、全て全問正解。
26年間勤めていた日立製作所でのプログラミングテクニックを武器に、素早く、どんな複雑な処理でもこなす高い技術力を持つと自負。