誠実な仕事を積み上げる世界で活躍するデザイナー

誠実な仕事を積み上げる世界で活躍するデザイナー
フリーランスのデザイナーとして鈴木裕一朗氏は、いくつもの大手企業のサイトを作り、高い評価を得ています。その一端がSpikes Asiaでのブロンズ賞受賞。制作会社で勤めた経験を活かし、世界から評価を受けている鈴木氏とは、一体どんな人物なのでしょうか。組織からフリーランスへと転身した彼の仕事観、ライフスタイル、独立した経緯など、鈴木裕一朗氏の軌跡と未来への展望を伺いました。
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制作会社に所属時代にSpikes Asiaでブロンズ賞を受賞

新緑が眩しい5月。訪れたのはデザイナー・鈴木裕一朗氏の自宅兼オフィス。観葉植物がおしゃれに並んだ心地良い空間で、鈴木氏がおだやかな表情で出迎えてくました。「引っ越したばかりで……」と少しはにかみながら語る鈴木氏は、制作会社を経て、現在フリーランスのデザイナーとして活躍しています。

メインフィールドはWeb。制作会社時代にはアジア最大の広告祭である『Spikes Asia』で受賞したのは、まだ会社員だった2011年のことでした。

ただ情報を発信するだけでも、見た目だけでもなく、Webでできることを追求して突き詰めていくスタイルは、長年の経験と挑戦によって培われたきたものなのだと、伝わってきます。デザインだけでなく、コーディングやプログラムにも明るく、だからこそできる実現性がある提案は、スタイリッシュで新鮮味のある作品へとつながっています。

鈴木氏の作品は、クールで洗練されているだけでなく、動画やアクションをうまく活用し、訪問者を動きあるビジュアルで楽しませてくれます。これはFlash全盛期に活躍した経験と、最新の技術への理解と実践力を持つ鈴木氏の『強み』から誕生した魅力のひとつ。

着実に歩みを進める鈴木氏の仕事やフリーランスとしての意識を、一体何が支えているのでしょうか。

Webデザイナーとして活躍する鈴木裕一朗氏へのインタビューをお届けします。

最初は憧れから。そして経験からフリーランスの別の魅力が見えてくる。

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――『Spikes Asia』で2011年にデジタル部門、デザイン部門でブロンズ賞を受賞されたそうですが、その時のことについて伺えますか?

スポーツメーカーの『気温割』というサイトです。当日の気温によって割引のパーセンテージが決まるというサービスをPRしています。35℃以上になると、例えば36℃になれば36%オフになるのですが、その温度や天気に合わせた映像やビジュアルが表示しています。当時、震災による節電で、エアコンをセーブしようという風潮がありましたが、やはり暑いとお客が訪れる実店舗では売上も、落ちがちになります。そこで夏の暑さを前向きにとらえてもらおうという企画になっています。

――応募のきっかけは?

これは制作会社に所属していた時の受賞で、案件をいただいた広告代理店の方が応募しました。制作当初から賞を獲りに行くと気合があった企画でした。

――受賞して周りや自分が変わったことはありましたか?

会社自体は他の海外の賞をいくつも受賞したことがあるのであまり変化はなかったのですが、僕個人としては賞をいただくということが初めての経験だったので、ちょっと自信にはなりました。

結婚を機にフリーランスへとシフト。自分を知っているからこその挑戦

――『Spikes Asia』でブロンズ賞を受賞されたのも会社員時代なんですね。この受賞がフリーになる自信につながったのでしょうか? 会社員からフリーになるとそういったベースが変化すると思いますが、その変化を受け入れて、実際にフリーランスになろうと考えた理由はなんだったのでしょうか。

受賞は確かに自信にはなりましたが、就職する前から、元々フリーランスには漠然とした憧れはあったんです。会社員になってから、そこは少し変わって、10年くらい制作会社でやってきた自分が、どこまでできるのか、自分の力を試したい、価値を確認したいという意識がありました。

行動のきっかけとしては、説明すると、逆に『なんでフリーにならなかったのか』という話からになるんですが、自分にはコネがなかったんですね。制作自体は自分でもやっていける自信はあったんですが、仕事をくれる人がいませんでしたし、探し方もわかりませんでした。

――仕事を受けるという営業面での不安があったと。それを覆すきかけがあったのでしょうか。

フリーランスになったきっかけは、結婚です。慎重な性格なので、子どもができると、もうフリーにはなれないだろうと考え、最後のチャンスになると思ったんです。

ちょうどその頃、同業の知人に、クラウドソーシングサービスの存在を聞きました。そこで、コネがないというストッパーになっていた部分がクリアになりました。「それならコネがない自分でもできるんじゃない?」と思えたきっかけです。

――結婚のタイミングとなると、奥様に独立を反対されませんでしたか?

少しされましたね。やはり大丈夫か? と。そこで2〜3ヵ月やってみて、どうにもならないようなら転職すると決めたんですね。当時は履歴書まで用意していました(笑)。

――履歴書を!?期間限定として始めたんですね。

そうです。タイムリミットつきでのフリーランスがスタートでした。退職のタイミングで有給消化が1ヵ月くらいあったので、その期間に入ったらすぐにクラウドソーシングサービスで提案や応募を始めたり、知人にメールなどで連絡をしました。そこから少しずつ仕事が入るようになり、今に至ります。

自分の判断が頼り。それが自分をより高めてくれる。

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――仕事をする上で会社員時代とフリーランスの違いはありますか?

制作については責任の範囲が違いますよね。会社員ももちろん責任はあるんですが、自分が感じた意見も、上や周りによって変える必要も出てくる。自分の判断がすべてではなかったですね。

フリーランスでは判断はすべて自分の責任です。プレッシャーはありますが、やりがいや達成感があります。自分の思った提案ができるようになりました。怖さはあまり感じません。自分で選択したことなので、失敗しても、自分で納得できますから。

営業はするようになりました。会社員時代は人見知りもあり、話ベタなので打ち合わせも苦手でした。今でも話が上手いわけではないんですが、同業者の集まりやイベントなどには積極的に参加するようになりました。

――仕事の依頼がきている理由は何か思い当たりますか?

制作会社に勤めた頃からの経験があったからだと思います。コネがないから独立できないと言っておきながら、連絡をしてみると、仕事がいただけたりしたのは、嬉しい誤算でした。

――技術や知識のアップデートも必要な仕事ですが、フリーランスになって勉強を意識していますか?

そこはあまり勉強しなければと特に勉強時間を取るようなことはありません。必要に駆られたものをどんどん取り入れていくという感じですね。

組織でも法人企業でもない。ひとりで仕事と向き合うフリーランスは面白い。

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――会社から独立した時に、フリーランスではなく、法人として会社を起こす選択はなかったんでしょうか?

今のところ、法人化はあるかもしれませんが、あくまで個人事務所範囲で、他人を雇うということはないと思います。自分には個人で目が届く範囲のフリーランスが向いていると感じています。僕自身はフリーランスという働き方はけっこうおすすめです。

――フリーランスになってからのライフスタイルはどうですか?

出勤時間がなくなった分、朝はゆっくりできるようになりました。フリーになりたての頃は共働きで妻は出勤、自分は家で仕事だったので、家事もやっていました。今は妊娠して少し妻が家にいる時間が増えたので、割合は減ったのですが。フリーランスなら育児も見守りやすいと思うので楽しみです。

――今後は、どんな仕事をしてみたいなどありますか?

元々ファッションに興味があったので、ファッションに関わる仕事をしてみたいですね。

自分の専攻が情報学科だったのでWeb制作は身近なものでした。それならファッションにWebで関わりたいと思っていたのが、この世界に入ったきっかけのひとつです。グラフィックも好きなので、そういった仕事を経験したいと思っています。

(おわり)

鈴木 裕一朗さんホームページ:http://www.szkychr.com/

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