紅白歌手を支える、歌と会社員と家庭のバランス

紅白歌手を支える、歌と会社員と家庭のバランス
甲状腺ガンをきっかけに歌手を目指し、家族への愛を歌った『home』で紅白歌合戦に出場した木山裕策さん。歌手となった後も、会社員としてフルタイム勤務をつづけています。働き方が多様化する現代において、いかにして自分らしく生きるのか。歌手であり会社員である木山さんのインタビューから、そのヒントを探ります。
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ガン宣告から始まった、会社員と歌手の人生

2008年に紅白歌合戦出場を果たした、木山裕策さん。家族への想いを歌った『home』をオーディション番組で披露し、音楽業界関係者からの支持を集めた。

歌手を志したきっかけは、自らを襲った『甲状腺がん』という病。36歳という若さで突きつけられたガン宣告だった。

「会社が忙しくて、なかなか家に帰れない生活でした。それでも、家族のために働く人生に納得感があったんです。ところがガンだとわかり、ここで死んだら『あまり家にいなかった人』で終わっちゃうのかなと怖くなった」(木谷さん)。

幸い、命を落とす可能性は低い病状。しかし甲状腺の手術だったこともあり、最悪の場合は声を失うこともありえた。

「生きてた証みたいなもの、家族に何を残せるかと考えた結果が歌だった。死んだときでもCDに残った声を聞いてくれて、こんな人だったのかなって思ってくれたら」(木山さん)。

木山裕策 – 「旅立ち ~home2016~」

無事に手術が成功し、歌手デビューしたのは39歳になったとき。オーディション番組に出演した時点、そして現在においても、会社員生活を継続している。途中には、1年間の専業主夫も経験した。

木山さんはいかにして、歌手と会社員と家庭のバランスを保っているのか。その原動力に触れることで、多様な働き方のヒントを探る。

会社員と歌手、ときには専業主夫といった、複数の本業を経験する木山裕策さんへのインタビュー。大きな決断をするときの判断軸、パラレルワークを実践するためのコツ、会社との付き合い方について聞きました。

歌手を目指したことで、仕事の熱量は増加した

木山裕策さんインタビュー

ーー歌手デビューの前後は、RMC(リクルートメディアコミュニケーションズ※現・リクルートコミュニケーションズ)で働く会社員だったそうですね。

13年間、Web制作の部署で働かせていただきました。前半は、取材に行ってコピーを書いてデザインとコーディングをして……とにかく作る仕事。オーディション番組に出演したのは、120名くらいの部署の課長として、人とプロジェクトをマネジメントしていたときのことです。

上司がテレビに出て歌手を目指してるなんて、仕事をやる気がないと思われてもおかしくないですよね。誤解を与えないためにも、それまで以上に気を使いながら働くようになりました。

ーー2008年2月に『home』でデビューし、同じ年に紅白歌合戦に出場なさいました。会社員生活での変化などはありましたか?

当時のRMCって、パラレルで働くことがOKじゃなかったんです。歌手としてデビューすることを人事に報告したら、「規定として許可できませんけど、どうしますか?」と言われて。

どうしますもこうしますもなくって、困っちゃったんですけど、当時の社長がおもしろい人で、「ルールを変えてしまえばいいだろう」と、その場で変更してくれたんです。

だからこそますます、平日は会社の仕事を全力でやろうという気持ちになりました。とにかく迷惑をかけないと約束しましたし、歌手をやっているから手抜きをするなんて、仲間たちに対する裏切りですからね。

ーーRMCから転職なさった後、専業主夫のご経験もあるそうですね。

主夫になったきっかけは、妻が復職することになったからなんですが、何よりも大きかったのは僕の気持ちの面かもしれません。

会社員時代は、平日は夜中まで働いて、土日は歌手としての活動という日々でした。とにかく家にいられなかったので、妻からは「home歌ってるのにぜんぜん家にいないわね」なんて冗談も言われて(笑)。

30代に子供と過ごせなかった反動から、全身で子供とぶつかる時間を求めたんですね。ところが、まったく甘い考えでした。

朝食を食べさせることから始まって、幼稚園に送って、洗濯と掃除をして、昼ごはんの用意をして、散歩に連れて行って、遊ばせている間に洗濯物を取り込んで、夕飯の買い物に行って……。4人兄弟なものですから、つくるのも片付けるのも大量でした。

1年後に会社勤めを再開したので、主夫の期間は短いもの。それでも子育ての大変さを痛感しましたね。昼寝なんて、一度もできませんでしたし。

パラレルワークのメリットとデメリット

ーー木山さんのような働き方で得られる利点には、どのようなものがありますか。たとえば収入面など、さまざまなメリットがあると思います。

収入面でのメリットは大きいです。子供が4人いるとやっぱり、すごくお金がかかります。会社員としての収入にプラスして、歌手として土日の収入があるというのは、大きな利点ですね。

ただ僕が一番良かったと感じているのは、人生に迷いがなくなったことなんです。20代は自分がどう生きていくのかに悩んでいました。30代は子供を育てるために、必死で身を粉にして働くことが自分の人生だと思った。

家族のために生きることを納得してはいたものの、どこかで『本当にこの人生でいいんだっけ』と感じていたのも事実です。

歌をうたうようになってからは、自己実現として頑張りがいがあって、迷いのない生き方をしている実感があります。

忙しいけど、会社員は会社員で頑張って、歌は歌でチャレンジさせてもらうっていうのはメリハリがあるんですよ。難しくて失敗もたくさんしますけど、目標に向かい頑張るほうが充実した人生を送れると信じています。

ーー難しくて失敗をしたということですが、具体的にはどのあたりに困難を感じますか?

気持ちの切り替えですね。平日の仕事で失敗や悩みがあったとしても、暗い顔で歌うわけにはいかない。逆に、歌手として歌ってますが、普通の会社員でもあるわけで、そっちも切り替えが必要でした。

コンサートで歌詞が飛んじゃったりすると、すごく引きずっちゃうタイプなんですね。でも、会社は会社でやらなくちゃいけないことがたくさんあるわけですから、そのままの気持ちで月曜日を迎えるのもダメ。

ーー上手に頭と気持ちを切り替える方法はあるのでしょうか。

僕の場合は、曜日が変われば嫌でも切り替えないといけないので。金曜の仕事帰りになったら、『もう今週はここで終わり』って言い聞かせてました。物理的に切り替えるタイミングが明確ですからね。会社員に戻るときも、『明日からまた重たいプロジェクトがあるぞ』と無理やり。

最初の3年くらいは、周囲に悟られないようにとけっこう苦労をしました。この数年は大丈夫になりましたけど。

あとは、歌手をやっているせいで仕事に身が入っていないと噂が立つのは嫌だったので、会社の仕事をしないと歌の仕事もできない、っていうバランスを常に保つ意識ですかね。歌をうたう土日はもちろんですが、体調を崩して会社を休むことがないように気をつけています。数年に1回くらいで、風邪をひいてしまうことがあるんですけどね。

また、特別扱いしてもらうつもりはないので、どうしても平日に歌手の仕事が入るときは、有給休暇の範囲内に収めることを徹底してます。同僚が有給を取るのと同じですね。

譲れないものは、3つの大切なピース

木山裕策さんインタビュー

ーー会社以外での目標、やりがいを感じる手段として、趣味を持つという選択もあるかと思います。趣味ではなく本業として活動することの、明確な違いやメリットは?

趣味ではなくプロとしてやることの違いは、たくさんのお客さん、ファンがいることだと思います。

僕の場合は歌ですが、知らない人の前で歌うとたくさんの言葉や反応をもらえる。納得いく歌がうたえたときに涙を流す人がいたり、握手会で感想を伝えてくださったり。

自分の存在を認めてもらえるような感覚に浸れるのは、趣味の域を超えているからだと思うんです。

じゃあ他の趣味が仕事になっていたとしたら……。切り絵やガーデニングの趣味があるんですけど、それが仕事になってたらどうなんでしょうね。芽が出て花が咲いて『きれいだな』という充実感は、たしかにあります。

でも大好きでやってるけど、途中で『疲れたな』『つづきは明日にしよう』とか思っちゃう。歌の場合はいくらでも歌えるわけですから、僕のなかでは別格なんですよね。

ーーそういう「これだけは」というものであれば、木山さんが実感しているような「趣味ではなく仕事」の意義がありそうですね。ところで、歌手一本でやっていくという選択は考えないのでしょうか。

ないですね。そこはもう、断言できるのですが、歌手だけというのは考えられません。会社は会社でやりたいことがあって、それができていることに満足しています。逆にそこをちゃんとしているから、安心して歌えている。

こういう働き方を9年間してきて、結論としてみえてきたことがあるんですね。家族がいてくれて、会社員の仕事があって、歌手として歌えるという、3つのバランスがとれている状態が大事なんだと。

3つが支え合っている、相乗効果を生み出していることが、いまの僕にとっては一番大切なんです。

時間の流れとともに、それぞれのウエイトが変化したり形を変える可能性はありますけどね。おじいちゃんとしての役割を担うようになっても家族は大切ですし、子供たちが巣立っていくまでは働きますし、歌はかわらずに歌いつづけるでしょうし。

ーー会社員として転職をなさっていますし、専業主夫の経験もあって、歌手デビューも果たして……といういくつもの選択をなさっていますが、3つのバランスが判断基準になっていたんですね。

そうですね。いまの会社においても、Webの広告をつくる部署をみているんですが、入社前に3つのバランスがとれるかの確認はさせていただいて。

Wikipediaに書かれちゃってますが(笑)、残業が比較的少ない会社を選びました。少なめというか、自分でコントロールができる職場ですね。自分の仕事は終わったのに、他の人が残っているから帰りにくい……みたいなことがない会社です。

同時に、3つのバランスが譲れない条件であるということは、どんな会社でどう働くかも重要になります。会社勤めについては『こう生きなきゃいけない』みたいな計画を立てるタイプではなく、そのときどきで最善と思える選択をしてきました。

在籍している会社のステージによっては、自分の能力を発揮できなかったり、活かす場面が見いだせないこともありますよね。そんなときは、慎重に考えた結果なら、転職もいとわないんです。『会社は会社で、やりがいを感じられる状態』を大事にしていますから。

いま僕は48歳ですけど、まだあと2回くらい転職するかもしれませんね(笑)。3つのバランスは、時間が経てば変化していくものですから。

<おわり>

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