50歳のキャリアウーマンが突然、大学生に?『シェイクスピア演劇』を研究する教授の一言で第2の人生がスタート

50歳のキャリアウーマンが突然、大学生に?『シェイクスピア演劇』を研究する教授の一言で第2の人生がスタート
会社唯一の女性管理職を任されキャリアウーマンとして、バリバリ仕事していたすずき ひろみさんはある日、突然大学生に転身! 子どもほど年の離れた学友とともに、充実した大学生活を送っていた時、『シェイクスピア演劇』を研究する教授からかけられた『あなたの人生に興味があります』の一言から、彼女の新しい人生が幕を開けました!
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会社唯一の女性管理職。年収600万、部下は6人を抱える仕事人間でした

高校を卒業して社会人となった私。結婚を機に転職し、環境は変わってきたものの『誠実・信頼・信用・努力』をポリシーに掲げ、25年の社会人生活を経てきました。転職して数年後には、会社唯一の女性管理職となり、部下6名、グループ7社、営業所15カ所の資金管理を任されることに。

経理、財務を管理する責任の重さ、重圧は大きいものの、それらと同等の充実感を得ながら日々を過ごしていました。そんな私でしたが、”ある出来事”を境に、会社を退職。それまでの年収600万、財務担当課長待遇、部下6名、すべてをゼロにしたのです。

では、そんなすべてを捨てて私は何をしたのかというと……『大学に入学したのです』。大学を志すことになった”ある出来事”の説明は後ほど行なうとして、”定年退職したら、一度は経験してみたかった大学生”に私はなったのでした。

4年間の大学生活と文学、そして心理学から気づいたこと

福島ハマナスの実

高卒で社会に出た私にとって、ずっと憧れであったキャンパスライフ。戻れない20代を取り戻すかのように、子どもほど年の離れた友人達とサークル活動や学園祭、アルバイトとずいぶんとイキイキ過ごしました。51歳という年齢にして、”青春”と呼べる”荒くもまっすぐな日々”を送れるなんて夢にも思っていませんでした。

そんな充実したある日、『シェイクスピア演劇』を研究する一人の教授が、夏休み前に私を呼び留めました。「あなたがどんな人生を歩んできたのか興味があります。私個人のために生い立ちを書いてくれませんか?」……ビックリしました!

教授いわく、毎回講義の最後に書くレポートが、他の学生と異なる視点でその文章が感情を揺さぶると言うのです。確かに、配られる用紙には、裏面まで使って感じていることをそのまま書いていました。伝えたい感情、私ならどうするか、細かな心理描写……感じた想いをこぼすことなく伝えたいという一心で書いていました。

とはいえ、”成績に関係なく誰の目にも触れない文章”を教授のために書く? はじめは多少の戸惑いこそありましたが、これは半世紀生きてきた私の人生を振り返る機会を下さったのだろう、と考え、文を書くことにしました。

私もそして教授も涙が止まらなかった! 会社を辞めたことには、”こんな理由”がありました

大学での論文類

これまで歩んできた半生を文にしたため綴った計16,000文字の文章。気づけば、いろいろな想いが湧き出ていたのでしょう。完成した文章を教授に届けたとき、私は無言で泣いていました。そして目を通した教授も涙を流し私の腕をさすって下さいました。

これには大きな訳があるのです。冒頭で触れた会社を辞めた”ある出来事”……。ただ、まっすぐに大学に行きたかったのではなく、生きることを否定してしまうほどの挫折と病の過去が私にはありました。

順調にキャリアを歩んできた私に訪れた病魔……『パニック障害』の発症

朝日のベンチ

それは『パニック障害』の発症です! 前職で管理職を勤めていたとき、役員との衝突をきかっけに少しずつ気持ちのバランスを保つのが難しくなり……。しまいには平衡感覚を失い、立ち上がることや食事もままならなくなり、自分の存在価値が認められず「生」と「死」を考えてばかりの日々が続きました。

そして働くことが難しくなった私は、ほどなくして会社を退職。昔のように「スーツに身を包みハイヒールの音を響かせてバリバリ働きたい」という気持ちを抱きながらも、自宅の草むしりをしていたら、ゴロンと転んでしまいました。誰もいない昼間。そんな情けない自分の姿に泣きながら笑っていました。

「これが今の私なんだ!」と自覚したのです。たとえ病を隠して再就職しても半年も続かないことでしょう。これからどうしたらいいのか……思い悩んでいたとき、突然ひらめいたんです。『そうだ、大学に行こう!』と。

勤めていたころから、定年退職したら一度は行こうと考えていた大学に今から行こう。思い立ったらすぐに仕事中の夫にその旨を報告。「預金を崩せば何とかなるよ」という夫の言葉で、その日に大学入学を決めました。そして、春を迎え51歳で大学生活をスタートしたのです。

大学生活で気づいた、私のなかの”伝えたいという気持ち”

空

大学に入学し、受けた講義で書くレポート。東日本大震災が発生したときは、自ら手をあげ支援活動の有志代表と通信掲示の作成を行なうなかで、「自分のなかの伝えたい気持ち」を知りました。この新しい自分の発見が、今の働き方に繋がっていきます。

大学を卒業し、これからどうしようかと考えていたとき、知人から『クラウドソーシング』という聞きなれない言葉を聞きました。調べてみると、オンライン上で仕事を受発注するプラットフォームのことで、”時間や場所にとらわれず”仕事ができるそう。

これなら自分の体調にあわせながら、大学で気づいた”伝えることの喜び”を感じれるライティングでお金を稼ぐことができる。そう思った私は、ランサーズに登録し在宅ワーカーとして活動を始めたのです。

初めて手がけた『経理に転職するには』というテーマの記事は、これまでの経験と文章力を試せる良い機会でした。完成した記事をクライアント様にとても喜んでいただけたこと、自分の文章がお金になること、評価でお褒めいただいたこと、このときの嬉しさは忘れられません。

現在は愛犬と散歩しながら風景写真などを撮りながら自然を感じる楽しい時間を過ごし、その間で仕事に取り組んでいます。無理せず、間あいだで挟む愛犬との時間、家事をする時間がちょうどいいリフレッシュになっています。

フリーランスとして在宅で働くようになってから、読書の時間、遊ぶ時間、散歩の時間、友人と話す時間など仕事とプライベートの切り替えがうまくできるようになり、良い仕事と満足感に繋がっています。

紆余曲折を経て、クラウドソーシングに出会った私ですが、きっと10年後もフリーランスとして記事を書いていることでしょう。フリーランスで働くこと = 自分の生き方、自分スタイルなんです。

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