日本人ゼロの田舎町へ移住! カルチャーショックに戸惑いながら手に入れた”強みを活かした”働き方とは?

働きに出られない『マイノリティ専業主婦』として生きる
国際結婚後、渡英したものの暮らすことになったのはイギリスの田舎町で日本人はゼロ。日本人ばかりの田舎に生まれ育った私がいきなりマイノリティとなったのです。
そして、働きに出られない『マイノリティ専業主婦』として、異国ではじめての子育てをする新生活がスタートしました。
海外移住とはいえ、これまで1人旅や海外就職も含めておよそ50ヵ国を旅してきた私でしたが、実際に『マイノリティ専業主婦』となってみてはじめてぶつかる壁に悩まされました。
まず、外へ働きに出られない専業主婦にとって、友人をつくることは想像以上に困難で、特にマイノリティである私がすでに出来上がっているローカルのママ友の輪に入っていくのは難しく、孤独を感じたこともありました。
だからこそ、言葉や文化の違いを乗り越えてできた友人とは、単なるママ友ではなく、もっと深い縁と絆を感じています。
また、子育てにおける文化の違いでは、これまで様々な国で受けてきたカルチャーショックとは異なり、戸惑うことも多くありました。
このように戸惑い続きの移住当初でしたが、日が経つにつれ少しずつではありますが、「家のなかはうちの文化」と考えることで、外の文化も受け入れられるようになってきました。
「すべては考えよう1つ」であることが、海外で生活をしているとよくわかります。「子育ては自分育て」という言葉のとおり、こういった壁を少しずつ乗り越え、良い面もそうでない部分も含めて、『マイノリティ専業主婦』としてはじめての子育てを楽しんでいます。
ふとしたきっかけで再開したライターのお仕事から求めていたものを知る
出産を機に少し離れていたライター業ですが、初めてライターというお仕事に携わってから、気が付けば8年が過ぎていました。
育児にも少し慣れ、生活のリズムが掴めるようになってきたときに、日本との繋がり、日本語での表現をしたくて再開したライターのお仕事に大きなことを気づかされたのです。
それは「評価されたい」「社会に必要とされていたい」という、子育てをしている自分の心の奥にあった欲望でした。
もちろん子育てでは、世界で1番大切な自分の子どもに誰よりも必要とされ、評価の形として誰よりも愛し、愛されます。
でも、わかってはいるものの、どこか心にずっとモヤモヤしていたものがありました。心の奥にあった満たされたい部分に気づいたのが、再開をしたライターのお仕事への最初のフィードバックでした。
娘を産んでから初めて、母親としてではなく、何か自分で生み出した仕事を誰かに評価してもらえることの快感と、さらには自分が社会に求められているというアイデンティティすら感じられたのです。この気づきこそが、現在フリーランスとして毎日を生きる糧となり、夢へと繋がっています。
仕事を選ぶなかで出会えたやりがいと自分ならではの強み
フィードバックで良い評価をもらえるにつれ、自信も沸いていき、それに従って自分が書きたいもの、自分が表現したいこともどんどん見えてくるようになりました。
これまで、結婚式のスピーチや挨拶文、お詫び文、旅の経験や様々な場所やもの、事柄等に関する記事を書いてきましたが、最近ではいろんな意味を含めて「仕事を選ぶ」ようになってきたのです。
そのようななか、熱い想いを持った起業家の方の想いを文字にするというお仕事に出会い、一生忘れられないほど想い入れの深いものとなりました。
日本語で表現する自由さを知るとともに、熱い想いを上手くヒアリングし、汲み取って、それをどれだけ多くの人に伝えられるかを想像しながら文字にしていくことは、難しい分、やりがいも大きく、今後自分がフリーランスでやっていく強みにしていきたいと考えています。
「ますます旅はやめられない」フリーランスだからこその夢
いつか子どもができたらバックパックを背負って一緒に旅をしようという夢が想像以上に早く叶い、娘がよちよち歩きをはじめた2016年の年明け、モロッコにて母娘2人旅デビューを果たしました。
『世界中で想いを文字に、文字を旅資金へ、旅の経験を伝える』このフリーランスならではの夢のサイクルにより、生きがいである旅を、今度は1人旅ではなく、家族で続けています。
モロッコ以外にも、今年はすでに4カ国を家族で旅しており、いずれは家族で旅をしながら生活をすることが目標です。
結婚をして、子どもが生まれて親となり、これまでの旅視点プラス、見せたい世界、知ってもらいたい歴史、肌で感じてほしい現実等が増え、ますます旅はやめられないものになりました。より自由に生きられる、フリーランスだからこその夢は無限に広がっていると感じています。