天国にいる愛犬とともに働いている! “フリーランスが最も働きやすい島化計画”で言葉と出会い、始まった新しい生き方

思いがけない場所で”生きるヒント”を見つける!
7年前、人間関係の疲れから体調を崩し、休養のために入院することになりました。病棟は1階で、食堂は大きな窓のあるテラスから芝生の庭へと行ける造りになっていました。
ある日のことです。毎日のように芝生の庭をネコが横切るようになったのです。そのネコは黒猫だったので『ヤマト』と名付けられ、私たち患者にとって気になる存在となりました。
ヤマトが来ると喜び、来ないとがっかりし……。雨の日には「どこで雨宿りしているのだろうか!」と心配し、私はすっかりヤマトに夢中になっていました。
気がつくと私はヤマトを抱っこした時の温かさに癒され、失っていた笑顔を取り戻していました。
ヤマトとの出会いから『人には癒しが必要だ!』と生きるヒントを得た私。種類こそ違いますが、飼っている柴犬をセラピードッグに育て、”ドッグセラピストとして人を癒す仕事をしたい”と考えるようになったのです。
そう思うようになってから、今まで暗闇の中で無気力に過ごしてきた私の毎日は、晴れ上がった青空を見上げるような、希望に満ちた毎日へと変化していったのです。
『Light work』という言葉に心が震える
鹿児島県の奄美大島に住んでいる私は、通信教育でドッグセラピストになれる学校を探し出し、まずは東京校のセラピー体験会に参加しました。
人生で初めてセラピードッグに触れた時、抱きしめただけで涙が溢れたことは今でも忘れられません! 体験会で行なわれたセラピードッグとの『上を向いて歩こう』の曲に合わせたドッグダンスでは、感動とともに元気ももらうことができました。
1人のセラピストが言った「私たちは、犬を通して『人の心に灯りをともす仕事』を意味するLight workをしているんです」という言葉。私が失意のどん底にいたとき、笑顔を取り戻すことができたのは、ヤマトによって”心に灯りがともされていた”ためであったことに気づかされ、心が震えました。
『私も誰かの心に灯りをともすドッグセラピストになりたい!』と決意を固め、獣医学と人間心理学の勉強をしながら、飼っている柴犬のトレーニングに取り組みました。
しかし、柴犬の特性も影響したのか6歳の柴犬は頑固で家族以外にはなつかず、セラピードッグには向いていなかったため、諦めざるを得ませんでした。そこで、新たにセラピードッグにするために迎えたのがラブラドールレトリバーの『パッチ』。
パッチは元気があり表情豊かでおおらかな性格をしており、私を含め人の心を癒す不思議な力をもっていました。
しかし、パッチは私のトレーニングではなかなか集中力が続かない……。思いどおりにはいかないことに焦った私は、親戚を頼り大阪校へパッチを連れて1ヶ月の集中トレーニングを受けに向かいました。
初めて暮らす土地とアパート、これからのトレーニングに不安を募らせている私に対して、パッチは住まいが変わっても平気な様子。動じていないパッチの姿を見ると、トレーニングも順調に進むと感じました。
トレーニング初日……。女性のトレーナーから「基本動作の”スワレ・マテ・立ってマテ・ターン・フセ”の指示がきけるか見せて!」と言われ、オドオドしながらパッチに指示を出すと、いつも通りに指示を聞いてくれません。
その様子を見たトレーナーは「エライ甘やかしたもんやなぁ。悪いのはパッチやない。飼い主さんアンタやで! オドオドしたリーダーの指示を犬はきかへんで!」と厳しい言葉を投げかけてきました。
続けざまに「犬が良いことをしたら褒める! 悪いことをしたらちゃんと叱らないと!」と言われ、今までパッチが悪いことをしても、叱らずに甘やかしてきた自分の落ち度に気がつきました。
集中トレーニングの1カ月間、叱られっぱなしだった私は正直、トレーナーのことが苦手でしたが、パッチは大好きでした。そんなパッチの姿を見て「他の犬から嫌われている私になつくパッチは大物や。いいセラピードッグになるで」と声をかけてくれたトレーナー。この言葉が大阪でのトレーニングの最高のプレゼントになりました。
1カ月間のパッチとの2人5脚のトレーニングの結果、ドッグセラピスト資格を取得することができました。このとき、パッチは2歳……。3年後、そろそろセラピードッグとして本格的に活動し始めようかと思い始めていた矢先、悲劇がパッチを襲ったのです。
時代を超えたパスカルからのメッセージ
2015年4月19日、パッチのおなかが膨らむ異変があらわれました。レントゲン撮り、写し出されたのは”大きく膨らんだ胃! 獣医から「今のところは胃拡張だが、胃捻転※1に進行するかもしれない」と告げられました。
胃捻転は食餌後すぐに運動させると起こりやすい大型犬にとって命とりになる病気です。私は「そんな育て方はしていない」と言いました。獣医からは容体が悪くなったら連絡するようにと指示を受けました。
私はこのとき、パッチの命のカウントダウンが始まっていることに気がつきませんでした。家に着き、パッチの頭を私のひざに乗せ、大きく膨らんだおなかを撫でていると、パッチが頭を持ち上げて私を見ました……。
それが5年と33日を生きたパッチの最期となりました。パッチに愛情を注ぎパッチに癒されてきた私は、パッチを失ってこれから何を目標に生きていけばよいのか分からなくなりました。
そんなとき、哲学の講義で聞いたパスカルの「人間は考える葦である」という言葉を思い出していました。『葦は風が吹くと抵抗せずにしなるが、風がやむと自ら身を起こす』
人間も同じように、自然の猛威や困難に対して無力だが、困難を乗り越えて自ら立ち上がり、考えることができる強い存在であるという教えでした。「パッチの死から自ら立ち上がらなければならない!」
ドッグセラピストを目指したときのように、好きなことで人の役に立つ仕事がしたい。犬の他に好きなことはあるだろうか? と自問自答した結果、高校3年生のときに県の作文コンテストで有名進学校の生徒たちを押さえて、一席を受賞したことを思い出しました。
文章を書くのは好きだが、仕事として成り立つ訳がない。叶わぬ夢だと諦めていたそんなとき、2015年7月に奄美市とランサーズが提携し、『フリーランスが最も働きやすい島化計画』が開始されました。
何かのきっかけになるかもしれないと説明会に参加すると「今後は、ライティングの需要が高くなります。ライターとして働きませんか?」という話がされていました。「書く仕事がある!」私がパッチを失ってからフリーライターとして自ら立ち上がった瞬間でした。
※1:発症の明確な原因は不明だが、食事や水の大量摂取、食後すぐの運動が要因とされる。胃がねじれることで膵臓や大静脈、門脈が圧迫され胃や心臓に十分な血液が行き届かなくなり、胃の壊死や心筋虚血を招き、重症の場合はショック状態に陥る。治療が遅れると、死に至ることもある危険な病気。
私らしい生き方へとつながるWrite work
説明会の翌日から、タスクでライティング作業をこなしていきました。クライアント様から「ありがとう」が届き「素晴らしい記事でした」とメッセージが届き、仕事の進め方に慣れてきたところでプロジェクト案件にも提案を始めました。
ふと「今まで文章に関わる仕事をした経験がないのに、ライターと名乗ってもいいものだろうか」と思うようになりました。
プロのライターになるための勉強がしたいと調べた結果、1ヶ月後に控えた『Webライティング試験』が福岡で行なわれることが分かり、テキストを取り寄せて勉強することにしました。
1級に合格することができ、ライターとしてスタートラインに立てたことに心が奮い立ちました。資格を取得したことで信用され、提案をすると仕事がとれるようになり、直接依頼も舞い込んでくるようになりました。
そして、ランサーズで働くときに目標にした認定ランサーにもなれました。まだまだ駆け出しのライターですが、好きな仕事を日本全国のクライアント様といっしょにできることに幸せを感じています。今後もライターとして、クライアント様の意図に沿う記事を作成することに努めたいと思います。
私のプロフィール写真は”パッチの写真”。今でも、私のそばにパッチはいて、2人で一緒に仕事をしているのです。
私は『Light work』を諦めた訳ではありません。いつか誰かの心を『Write work』によってともしていくことが、私らしい生き方へとつながっていくと信じています。