「異国の地×未経験」のダブルパンチ!“世界一の孤島”パースでライターとしての喜びと出会う

「異国の地×未経験」のダブルパンチ!“世界一の孤島”パースでライターとしての喜びと出会う
長い人生を歩む中で「当初考えていたライフプランとは別の方向に進んでしまった」という経験がある方も多いのではないでしょうか。30代半ばでオーストラリア・パースへ嫁いだこちらのライターさんも「結婚するまで、海外に住みたいと思った事はほとんどなかった」と語っています。異国の地でカルチャーショックに耐えつつも、ライターという未経験の職業の面白さと出会ったという彼女のストーリーをご紹介いたします。
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結婚してオーストラリアへ

生まれてから今までの年数を四捨五入すると、私は50歳になります。そして私は30代半ばで結婚するまで、大きな敗北感や無力感を味わったことはありませんでした。

実に厚かましく聞こえるかもしれませんが、本当のことです。だからといって、特に自分が他人へ誇れることをしてきたわけでもなく、そんなものは、何一つ自分の中には無いのですが、性格が楽天的でマイペース、結婚するまで呑気な気持ちで生きてきたのでした。

人生の折り返し地点で、穴に落ちる

街

人生を積極的に生きている人々の中には「一生に一度は海外で暮らしてみたい!」「海外で、バリバリ仕事をしたい!」という人たちがいます。

私はどちらかというと、そういうタイプの人間では無さそうなのです。海外旅行は大好きでしたし、人一倍好奇心はあると思うのですが、海外へ住みたいと思ったことは、私の生きて来た中で殆どなかったと記憶します。

そんな私が、イギリス人の夫が住むオーストラリアへ嫁いでから、カルチャーショックに陥ることになります。

英語はしゃべれましたが、英語の世界でしか表現できない閉塞感は、なにか自分なのに、本来の自分ではないような苦しみがありました。頭の中で考えていた海外生活と、実際その土地で、生身で体験することは全く異なるものでした。

海外で生活するフラストレーション

日本社会では、相手や仲間の空気を読むということが人間関係を円滑にする得策でした。しかし欧米社会は、個人主義を重んじる国です。

「周りの空気を読む」のではなく「自分色の空気を作っていく」そんなことが重要になってきます。日本では黙っていても、人は私を理解すると言わないまでも、意識してくれたものです。

しかし欧米社会では、自分の意志を言葉に発しない限り「存在無し」と同然のように扱われます。

自分の意見が無い場合は「意見が無い」ことを口や態度で表す必要があります。オーストラリアへ移住したはじめの数年は、何でも自分の意見を求められること、自分から発しないと相手に自分の意志が何も通じないことが、フラストレーションでした。

欧米諸国の人々は「I love you.」という言葉を頻繁に使います。まるで挨拶のように「LOVE」という言葉を家族や親しい人や動植物などに対し、いろんな場面で気持ちを伝えます。

「黙っていても愛していれば通じる」とか「以心伝心」なんていうことはありえません。欧米諸国の人々は、言葉で発し、それを聞いて気持ちを確かめ合わないことには、とても不安に感じる人種のようです。

人間はどの人種が優越だとか、劣っているというものでは無いと思いますが、明らかに、欧米人と私たち日本人の精神のストラクチャーは異なるものでした。

そんな闇雲な中ではじまった海外生活ですが、時は流れ、少しずつ何かを変えてゆきます。オーストラリアのパースで暮らす時間の長さと共に、私もこちらの生活に馴染みはじめてきた頃、「そろそろ本格的に仕事がしたい、自分も社会に貢献したい」という思いが、日増しに強くなっていきました。

きっかけは、何気ない気持ちでつくったランサーズ「マイページ」のプロフィール欄

パソコンをする女性

そんな時、たまたまインターネットで見つけたのが、今お世話になっている「ランサーズ」でした。初めて「ランサーズ」を知った時、正直眉唾ものでした。

なんとなく心のどこかで、インターネットを通して仕事をするのは胡散臭いという気持ちがあったのではないかと思います。

軽い気持ちでマイページを立ち上げてしまいましたが、それが後になって、自分が情熱をもって取り組める仕事へと導いてくれるなんて、その時は想像もしていませんでした。

遠い昔、私はデザインの仕事に関わっていました。ランサーズを初めた頃はデザインやイラストのコンペなどによく応募していました。ちょっとした懸賞感覚で、当たればラッキーという具合に取り組んでいたので、今思えばちっとも本気でなかったのだと思います。

そんなわけで、全く当選などしません。次第に「ああ、こういう安易な気持ちは駄目だな」と思い知らされた私は、ランサーズを辞めようとしていた矢先のことです。思いがけない出会いが私を待っていたのでした。

直接依頼が導いた新たな仕事は、自分の専門外

ある日、案件ゼロのランサーズのマイページに、私宛に直接の依頼がありました。プロフィール欄で記した「北欧」の言葉に、クライアントが興味を持ったのが直接依頼を受けた理由です。

私は北欧のデザインやアーティストに、強く惹かれているものがあり、チャンスがあれば、北欧風のデザインやイラストで仕事がしたいと望んでいました。

しかし、クライアントが私に求めていた仕事は、デザインの仕事ではなく、ライティングの仕事でした。「ライター」……。しばらく、私はその仕事について考えました。

実は、結婚した当初から、オーストラリアの暮らしや日々の思いなどを、ブログを通して、家族や日本の友人に向け書き綴っていました。文章を書くことは、小さい頃からとっても好きでしたし、慣れぬ海外生活を少しでも面白可笑しく書くことが、自分の精神をうまく保っていくための癒しだったのかもしれません。

それに、趣味で小説を書いて応募するのは、私のライフワークのひとつでもあったので、はじめて頂いたライターの仕事は、自分のライフワークの延長戦上に思えてきたのでした。私はウェブライターという新しい分野の仕事を、承諾することに決めたのです。

本気でライターの仕事へと心変わりしたのは、良きクライアントとの出会いから

海

私がライターの仕事に対して、本気で取り組むようになったのは、何度もくらったクライアントからの駄目だしでした。ものすごく良いアイディアが浮かんだのにも関わらず、それが良くないとあっさり切られる。

そうなると、今度はもっと良くしたいという闘志がメラメラと湧いてきます。自分でも驚いた感情でした。闘志を抱く感情が、心の中にあったことが実に面白かったのです。

そして最後にクライアントからオッケーをもらい、出来上がったものは、私の想像を超えた良い記事になりました。その時、ひとつの案件が出来上がった時の大きな達成感が、非常に心地よい刺激でした。もっとライターの仕事をやっていきたいと、心の底から思わせてくれたのでした。

私は、いくつかの偶然が重なってライターという仕事に携わることが出来ました。もちろん偶然だけを便りに来たのではなく、最終的に自分がライターの仕事に取り組む決断をしたのは私自身ですが、仕事を得る為の道のりを、導いてくれたランサーズにはとても感謝しています。

これからも、もっともっとライティングの勉強をして、文章力を磨き、社会へ大きく貢献できればと願っています。

オーストラリアは日本とは逆さまの季節、私は眩し過ぎるドライな太陽を拝みながら、日本のしっとりとした空気や自然を懐かしみ、今日も新たな案件に取り組んでいきたいと思います。

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