ミュージシャンを目指していた20代 | あの頃の情熱を思い出し、フリーランスとして歩みだす

ミュージシャンを目指していた20代 | あの頃の情熱を思い出し、フリーランスとして歩みだす
ミュージシャンを目指してがむしゃらだった20代。事務所にも所属し、自分の未来は花開くと希望に満ち溢れていました。ところが所属事務所は解散。ミュージシャンの道を断念せざる得なくなった しまだ ゆうさんは、デザイン事務所に就職。仕事を通してフリーランスと接する間に、自分もその働き方に憧れを抱くようになりました。フリーランスとして一歩足を踏み出した元ミュージシャンをご紹介します。
LANCER SCORE
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フリーランスになって感じる一番嬉しい瞬間

パソコン作業をする男性

フリーランスになって、1年と半年が経とうとしています。この1年半の間に様々な事を経験することが出来ました。フリーランスである以上、問題は全て自分で解決しなければいけません。

助けてくれる同僚も、正しい方向へと導いてくれる上司も存在しないからです。時には不安を感じる時もありました。それでも、1つ1つ問題を解決していくと、自分が大きく成長していると実感できます。

自分が成長すると自分の可能性が広がっていくようでワクワクします。大人になった今でも、このような気持ちになれる事が何よりも嬉しく、そして誇らしくもあります。

志だけは高い売れないミュージシャン

東京に出たのは、ミュージシャンとして成功したかったから。東京での日々は、目まぐるしく過ぎていき、とても刺激的なものでした。

そんな生活の中、やっとの思いで事務所に所属する事ができたのです。所属事務所ができた事によって、スタジオを使うのにお金がかからないようになりました。

そんな環境で存分に音楽を楽しみ、自分の未来は必ず花開くと信じて、日々、歌い続けていたのです。しかし、そんな生活が5年も過ぎた頃、所属事務所が解散する事になってしまい、突如終わりを迎えました。

ただでさえ、不安定なミュージシャンという肩書きだったのに、所属事務所をなくした事によって、その肩書きさえなくしてしまったのです。

所属事務所がなくなって、一番ショックだったのは、音楽活動によって手に入れていた収入が無くなったこと。

本当に少額だったのですが、音楽をする事によって手に入れていた収入こそが、プロのミュージシャンとしての証だと感じていたので、その証が無くなった事が何よりもショックだったのです。

プロのミュージシャンでなくなった自分。自分は何者でもなくなった。その事実が、嫌でも現実問題となって迫ってきました。

気付けば28歳。若いとはいえない年齢になっていました。古い友人たちは、就職した会社で日々、忙しく働き、社会人として立派に成長していたのです。自分と彼らとの間にある大きな差に気付いた瞬間、始めて自分のこれからを真剣に考える事となりました。

28歳。生まれて初めての就職活動

海に浮かぶ島

東京での生活に限界を感じて、地元に戻ることを決意しました。地元に戻り早速、就職活動を始めたのですが、10年間、東京で好きな音楽だけをして生きてきた自分にとって、就職活動は始めての経験です。

自分がどのような職種に興味があるのか、どのような職業があるのかもよく分からない状態で、自分が仕事にしたい事とは何か? を考える日々を過ごす事となりました。

東京で音楽活動の傍ら、自分のライブのフライヤーやステッカーを作っていました。バンドは人気がなかったので時間があったのです。ソフトを買って、本などを読みながら独学で学んでいきました。

フライヤーはお客さんや他のバンドからも評判が良かったので、その経験を活かせると考えてデザイン業界への就職を目指す事にしました。

しかし、一度も就職した事がない28歳の人間を雇ってくれるような会社はそう簡単には見つかりません。就職活動は難航しました。それでも、探し続けた結果、運良くスタートしたばかりのデザイン事務所に就職する事ができたのです。

小規模な会社だからこそ学べたこと

就職した会社はスタートしたばかりの小さな会社でした。しかし、その事が自分にとって大きくプラスに働いたのです。小さな会社なので、社員一人に割り振られる仕事量も多く、ジャンルも幅広くなります。

営業をしてデザインの制作もして、経理も経験することができました。そのおかけで、一通りの仕事の流れを身を持って学ぶ事ができたのです。

この経験は、今では大切な財産です。大きなデザイン事務所だと、制作と営業は別の人間が受け持ちます。確かに、一つの仕事を時間をかけて極めていく事は、とても大切な事です。

しかし、自分のように出遅れてスタートした人間には、そんなゆっくりとした時間はありません。全てを経験しながら仕事の流れを知る方が効率が良かったのです。

本当の自分の気持ちを見つける

作業部屋

やっと入社できた会社も、7年程で倒産。年齢は35歳になっていました。職歴はついたけれど、再就職について楽観的にはいられませんでした。かといって、焦っても仕方がないと考えていた自分もいたのです。

今になって思い返してみると、倒産という出来事によって、再び自分の生き方について考える時間を手に入れる事が出来たのは良かったと思います。

朝から図書館に行き、様々な本を読み、昼からは職業安定所で仕事を探す。そのような生活をしばらく続けていました。時間が経過していくうちに、昼から職業安定所に行く回数が減りだしました。

求人カードを見ていても、どこか他人事のように思え、真剣に探す事がなくなったのです。そして、自分の中に1つの思いが芽生えました。「どこかに勤めるのではなく、自分でやっていきたい。」

勤めていたデザイン事務所で、どうしても人手が足りない時はフリーランスの方にお願いしていました。お話しする機会もあり、フリーランスという在り方に羨ましさを感じていたのを思い出したのです。

しかし、その当時は自分がフリーランスになろうとは考えてもいませんでした。2度目の就職活動をしている時に、フリーランスになりたいと思っている自分を発見する事になったのです。

最初の一歩を踏み出す時が、一番勇気が必要

しかし、自分でやってみたいと考えても物事はそんなに簡単には進みません。フリーランスとしてやっていく為には、仕事を受注しなければならないからです。自分にできるのか自信を持てないでいました。

そんな時、会社に勤めていた頃にお世話になっていたお客さんから連絡をいただいたのです。用件を聞いて驚きました。個人としてでもいいので仕事を受けて欲しいという話だったのです。

金額は、勤めていた頃に受注していた金額でいいと言われました。その場で返事はできませんでしたが、電話を切り、時間が過ぎていくうちに自分の気持ちが固まっていくのを感じていました。

翌日、引き受けさせていただきます、という返事をしました。思わぬ形で最初の仕事が決まり、その出来事がフリーランスでやっていこうと決断するきっかけとなったのです。

その後は、自ら営業を行ない仕事の量も少しずつですが増やしていきました。結果が表れ、充実した毎日。ただ、もう少し活動の場を広げてみたいとは常々考えていました。

自分の中にあった、新しい可能性との出会い

しまださんとお子さん_画像

ある日、本屋でランサーズについて紹介している雑誌を見つけました。クラウドソーシングという存在は知っていたのですが、利用した事はありませんでした。

雑誌を読んでみると、フリーランスにとってクラウドソーシングが重要なシステムである事が分かり、試してみる価値はあると考え、実際にクラウドソーシングの利用をスタートしました。その結果、自分の新たな可能性を発見する事ができたのです。

クラウドソーシングで募集している仕事には、どのような仕事があるのか調べる中で、ライティングの仕事に興味を持つ自分を発見する事になったのです。昔から、書くのも読むのも好きで多くの本を読んできました。

音楽活動をしながら小説を書いた事もあったので、文章を書く楽しさと喜びは知っていたつもりです。ライティングの案件を見ながら、文章を書く事を仕事にしてみたいと思ったのですが、自分の文章で通用するのだろうか?

そんな疑問もありました。そこで、いくつかのタスクに挑戦しました。タスクをこなしているうちに、文章を書く楽しさを思い出していったのです。仕事が終わり、夜はランサーズのタスクをするという生活を2ヶ月程続けました。

2ヶ月が過ぎてから、ある程度の手応えを感じるようになったので、プロジェクトに応募してみました。結果、ランサーズで始めて仕事を受注する事ができたのです。その後は、様々なクライアント様と仕事をさせていただき、成長させていただいています。

まだまだ、フリーランスとしてもライターとしてもスタートしたばかりですが、毎日が楽しく忙しく過ぎていく事に幸せを感じています。ライティングの仕事を手に入れる事ができたのはフリーランスになったから。

もしも、フリーランスになっていなければライティングの仕事と出会えていなかったでしょう。ライターとして仕事ができるだけでも、フリーランスになって良かったと感じています。

毎日が成長するための挑戦だと考え、充実した日々を過ごせているのも、あの時に恐れず一歩踏み出した結果。今後も、様々な出来事があると思いますが、自分が納得できる人生にしたいと強く思います。

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