電撃的な恋に落ち、イタリア人男性と結婚! 家族の時間を大切にするため選んだフリーライターの道

電撃的な恋に落ち、イタリア人男性と結婚! 家族の時間を大切にするため選んだフリーライターの道
阪神淡路大震災を経験し、「人生は一度きり!」と痛感した鈴木 ココさん。それまで日本で仕事をする普通のOLでしたが、大好きな地で生きるために学生時代魅了されたヨーロッパ・イタリアへ移住。移住当初は自分の言葉でコミュニケーションをとる難しさを感じるも、今や言葉を綴るフリーライターとして活躍。イタリアでフリーランスとして活躍する鈴木 ココさんをご紹介します!
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たった一度の人生、好きなことをしなくっちゃ!

イタリアの街にいる親子

小さな頃「なんでもいいから好きなことを仕事にしなさい。専業主婦にだけはならないで」と、専業主婦の母はいつも言っていました。教員免許もあり、栄養士であるにもかかわらず、家で私たちのために、服もおやつも手作りする、完璧な専業主婦の母の言葉。

好きなことを、と言われても、私にはかえって難しく、明確な目標を見つけることのないまま大学を卒業し、たどり着いた職業は「OL」でした。

とはいっても、幸い顧客対象の販売促進の企画というポストで、仕事は楽しく、経済的にも時間的にも、海外旅行に年に二回行けるくらい、充実していました。

また、仕事を通じて、一流レストランやホテル、または劇場へ頻繁に訪れ、美しいもの、おいしいものを体験する絶好の機会を得ました。

この頃、大学時代の旅行ですっかり魅了されたイタリアを毎年訪れ、また大好きなイタリアの料理の本を読むために、イタリア語の学校へ通い始めました。

二十代も後半になると、多くの同僚は大手企業サラリーマンと結婚退職していき、独身でも、結婚後でも、女性で仕事を継続する事は、まだ肩身が狭い雰囲気でした。現状に不満はないけれど、今後の会社での私の将来には希望が持てず、会社員の限界を感じ始めました。

そんな中、神戸の大震災を経験し「人生は一度きり」ということを痛切に実感。現状を変えたい欲求が湧き上がってきました。大学時代に訪れたヨーロッパの国々で出会った「楽しそうな大人」に対する羨望が、いつも心に残っていたからです。

私もイタリアに一年住んで旬の食材を通しで体験し、食にかかわる仕事をしたいと思い始めたものの、勇気が出ず躊躇していました。ところが転機が訪れました。

定年退職後、イタリアへ移住したイタリア語学校の大先輩が、夏休みの一か月「アパート付き猫シッター」をしてくれる人を探しているというのです。

冗談のようなまたとない機会に、十年間の会社員生活にピリオドを打って、三十二歳で念願のイタリアへ。一年の予定で出発しました。

周りの考えが気になり、自分の意見を言葉で表現できなかった私

the lancers fontana dei trevi

まずは念願の語学学校へ通いました。国籍も年齢も全く異なる同級生たちとの学校生活は、すべてが新鮮でした。年齢にかかわらず、自分に自信があり、周りを気にせず発言する同級生たちに、人生観が大きく変化した貴重な体験でした。

特に、学校生活二か月目に、アメリカで911事件が起きたときのことです。翌日の授業は、アメリカのテロをテーマにした討論でした。

アメリカ人は無言で退室しましたが、その他の学生は、アメリカのこれまでの政策や対テロについて、それぞれ各自の意見を率直に述べ始めたのです。

ところが、「アメリカと同盟国である日本人の意見」と指名された時に、意見が言えない私。大学で政治学を専攻していたものの、「被害者が気の毒」という感想しかなく、またそれを口にすることも、なぜか憚られました。

今、十一歳の長女が、パリのテロを受けてのレポートという宿題をしていました。自分で考え、それを言葉で表現することは、とても大事なことだと思います。

学校時代は、料理コースへ通い、毎朝、市場へ足を運び、念願の旬のイタリア食材に触れる充実した日々。猫シッターの後のホームステイ先でも、おばあちゃんの家庭の料理を習うことができたのは幸運でした。

結婚と、子育て。イタリアでの専業主婦としての日々

果物

イタリアでは日本人女性は人気ですが、私にはイタリア男性の軽薄さにも嫌気がさし、生涯一人でも生活できるよう、アメリカで栄養学を学び、本格的に料理の勉強をしよう、と考え始めました。

ところが、学校の先生宅のホームパーティで、現在の夫と知り合い電撃的に恋に落ち、そのニ年後には結婚しました。結婚後、子供をつぎつぎに二人も授かるという予想外の展開。

ところが、公的な保育設備が整っていないイタリアでは、仕事をするにはベビーシッターが不可欠です。それならばと、子どもが小さいうちは私が家にいて、専業主婦をすることにしました。

子供たちに安全なものを食べさせたい、という気持ちからスローフードの理念に傾倒していき、料理三昧の日々でした。料理という目的があったので、イタリア語の勉強も続けることができました。

子供たちとの生活は、想像以上に毎日が波乱万丈で、髪を振り乱して笑って怒って、無我夢中の日々でした。しかし、大切な子供たちの人生の最初のページを共にすることができたのは、かけがいのない経験だったと今振り返ってしみじみ思います。

家族との時間を大切にしたいと思ったら、答えはフリーランス!

子供たちが成長するにつれ、学校へ行っている間の自由な時間も増えましたが、イタリアは、小学校の送り迎えが義務付けられています。また放課後のクラブ活動がないので、おけいこ事へ通うための送り迎えも必要です。

小学生になったら仕事をしたい、と思っていても、夕方四時に子供を迎えに行ける仕事は、外国人の私には見つかりません。しかも夏に日本への一時帰国をしたいと思うと、専業主婦以外の選択肢はないとあきらめていました。

また本音のところ、子供たちの成長を私自身が見守りたい、という希望もありました。そんな時、またまた転機が訪れます。子供の同級生のお母さんが、私のイタリア語を評価してくれ、彼女の勤務する多国籍企業のリサーチ会社で、日本案件のフリーの翻訳者として採用してくれたのです。

想像以上に大変だけど、両国の橋渡しとなるやりがいのある仕事です。ネイティブチェックをしてくれる夫の協力のもと、フリーの翻訳家としてスタートを切りました。

そうこうしてるうちに、翻訳のために、語学学校でも専攻していた美術、歴史を中心にイタリア語を再び勉強し始め、そこで得た情報を、ブログという形で発信し始めました。

思いがけず好評なブログに、「記事を企画して、仕事に繋げたら」との妹からのアドバイス。勇気を出してWEBマガジンに問い合わせたところ、イタリアからの情報発信という、フリーライターとしての仕事を始めることになりました。

十年近く専業主婦として過ごしたため、大事な三十代を無駄にした、と思ったこともありました。ですが、その時期、本気で子育てした経験、イタリアの友人から学んだイタリアのライフスタイル、そしてイタリア料理のこと、今、自信をもって自分の文章を書くための貴重な財産となっています。

子どもの帰宅時間までを執筆に、残りの時間を家族の顔を見て暮らせる「書く」というフリーランスの職業、一生の仕事にできるよう精進の日々です。

将来、私なりのイタリア料理に関しても書いてみたい、という目標もできました。長い回り道をして、ようやくたどり着いた「好きな仕事」にワクワクしながら暮らしています。

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