まさかSNSで仕事を受けることになるなんて! 地道に続けたブログ運営からライターデビューへ

まさかSNSで仕事を受けることになるなんて! 地道に続けたブログ運営からライターデビューへ
単純に「好きだから」という理由で書き続けていたブログ。あくまで自分のために発信し続けたブログが、なんとフリーライターデビューに繋がることに。突然送られてきたTwitter からの連絡をきかっけに、フリーライターのキャリアをスタート。月間100~150本の執筆を手掛けるようになった、男性の人生を変えた仕事をご紹介します。【フリーランスが語る、思い出の仕事シリーズ】
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仕事がないフリーランスの日々

小林敏徳(トシノリ)です。今はフリーランスのライターをしています。ぼくは2013年12月まで会社員として生活していましたが、うつ病(鬱)になったことをキッカケに退職。

その後しばらく休養して完治したものの、会社員として社会復帰することに不安を感じて、そのままフリーランスとして独立しました。

退職を決めるまでに2日間、退職するまでに3週間。そんな慌ただしい日々を過ごすなかで「独立後はどんな仕事で生活していくのか」を考える余裕はありませんでした。でも、ただでさえ不安に襲われやすいのがうつ病。

「ちゃんと生活していけるのだろうか? 家族を路頭に迷わせないだろうか?」と、どんどん不安が大きくなっていきました。将来を考えなければ……。いや、考えすぎたらうつ病が悪化する……。

葛藤をしながらも、まずは休養。そして働き始めてからは「予想通り!」とでも言うべきか、まったく仕事がありませんでした。

「好きだから」それだけの理由で書き続けたブログ

パソコンをする男性

「仕事がない」と嘆いていても、生活費を稼ぐ必要があります。目につくもの、人から言われたことは何でもやりました。

■ スニーカーの輸入販売
■ フィギュア・DVDのネット通販
■ 化粧品の企画・販売

コネや知識があったわけではありませんが、自分で調べてなんとかこなす日々。それでも満足な収入を得ることはできず、不安は大きくなるばかりです。

しかもネット通販の仕事を一生やっていくイメージはどうしても持てませんでした。そんな大変な時期に何をのんびり構えていたのか、「好きだから」という理由でブログ(ミラクリ)を書き続けていました。

それまで10年近くブログを書いてきましたが、フリーランスになったことをキッカケにして独自ドメインでブログを設立。

「将来はブログからお仕事をもらえたらなー。」そんな軽い(甘い)ノリで書き続けていました。今考えれば、稼ぐことに必死にならなければいけない時期に、お金にならないブログを書き続けるなんて、恐ろしい考えですし、何よりも家族がよく止めなかったと思います(笑)。

「好きだから」ただそれだけの理由でブログを書き始めてから約1年後、本当にブログをキッカケとし「文章を書く」お仕事をいただき、ライターの道を歩み始めることになるとは、想像もしていませんでした。

Twitterから連載オファーをいただいてビックリ!

SNSボタン

Twitter(@enrique5581)を中心にしたソーシャルメディアアカウントも育てていました。将来的に仕事が増えたとき、フォロワーの数がそのまま成果に繋がるかもしれないと考えて積極的に発信。いま思い返せば、これもよく家族が止めなかったなぁと感心しています(笑)。

ブログ開設から1年半。長らく相互フォローで親しくしていた匿名アカウントの方から、びっくりするようなメッセージが届きました。

「実は私、◯◯株式会社の◯◯と申します。ブログやTwitterをいつも拝見しているのですが、新しく始めるメディアで執筆していただけないでしょうか?」

え……?これがいわゆる”ライター”ってヤツなのかな? ”原稿”を”執筆”してお金をいただく仕事なのかな?「ブログ・SNSをきっかけに仕事をもらえたらいいなー」とは思っていましたが、仕事のオファーを実際にいただくとたじろいでしまいました。

しかも”ライター”経験はゼロです。欲しかった仕事なのに怖い。願っていた状況なのに不安。そんな思いとは裏腹に「ぜひよろしくお願いします!」と返信していました。

「仕事の報酬・条件はどうだっていいからとにかくやってみよう」と、頭ではなく、細胞が反応した瞬間でした。

たった2ヶ月で本業ライターに

それから1ヶ月ほどで「お悩み相談」の連載がスタートして、ライターの”ラ”の字も知らないクセに原稿を書き続けました。満足してもらえる文章を提出するために悩み、ときには頭から煙がでるほど。

そして、ときには自信のある原稿を2本提出し、「好きな方をお使いください!」と伝えて編集者の方に驚かれることも。仕事の報酬や生産性、そして将来性なんか無視して、とにかく自分ができることに集中する日々でした。

お陰さまでメディアのランキング上位に入るほど好評となり、運営の方々の仕事ぶりには感謝しかありませんでした。ぼくはとにかくおもしろい原稿を書き、少しでもPV(アクセス数)に貢献しようと、育ててきたTwitterアカウントで告知をする、ただそれだけです。

連載の契約が終盤にさしかかった頃に執筆オファーが増え、文章を書くエリアが徐々に広がりました。人に教えてもらった「ランサーズ」でもライターの仕事を増やしていくことにしました。

ランサーズにはどのような仕事があり、どのような人たちが活躍しているのかを知りませんでしたが、大好きな文章を書く仕事ができるならと登録すると、すぐにいくつかのオファーをいただき、2ヶ月もすると「ランサーズの認定ランサー」にも選んでいただきました。

ライターの経験はゼロ、そしてメディアを運営するIT業界の知人もゼロ。そんな状況でライターの仕事が急増したのは本当に幸運だったと思います。

「食えるライター」になれたのは幸運

ぼくがライターとして生活できているのは幸運です。文章の素地もなければ、ライター経験もないし、コネもない。”ないないだらけ”のぼくが、今では月間100~150本の原稿を書いて生活しています。

本業でがんばっている方々が「ライターは食えない」と発言していることを思えば、ぼくは幸運以外の何物でもありません。仕事がないフリーランスだった時期、自分がたっぷり持っていたのは「時間」でした。

その時間を投資して、将来の仕事と報酬につなげられたこと。これは決して戦略的にやってきたことではありませんし、お金になるかも分からないことに時間とお金を投資することを止めなかった家族には感謝するばかりです。

そして何者でもないぼくをブログ・SNSで発掘して、実績も何もない状態で声をかけてくださった方々にも感謝しかありません。(ぼくが依頼主であれば、実績ゼロの人に依頼なんかできませんからね。)「”好きなこと”を仕事にする」そんな言葉をよく聞くようになりました。

そのためには努力をして、少しずつ実績を積んでいくことが大切なのでしょう。でも、たった2ヶ月で激変したぼくのライフスタイルを振り返ると、その時々で一生懸命やってきたことが、あるとき色んなめぐり合わせで花開いていくこともあるのだと思います。

ぼくは「努力すれば誰でもできる」とは、言えそうもありません。でも、コツコツと積み重ねることの大切さは、体と細胞に刻まれています。

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