ドイツで暮らす日本人主婦! 世界で働く強さをフリーランスで手に入れた
転がる石に苔はつかない | 転がる主婦は職につけない
はじまりは10数年前、まだ結婚前の夫にドイツ行きの話が持ち上がりました。当時わたしは地方公務員でしたが、周囲の止める声にも耳を貸さず、あっさり退職して夫について行くことに。
それまでの人生は海外なんてまるで縁がなく、これが最後のチャンスだろうと思ったのです。しかし、これが最後になるどころか、流浪生活のスタートになるとは知るよしもありませんでした。
その後、長くて5年、短くて1年足らずの先行き不透明な生活では正規の職につくこともままならず、新しい土地に移っては名産品を楽しみつつ、派遣社員として働く日々が続くことになりました。
広報・Webディレクターとしてキャリアを積み、スキルを磨く
地方公務員時代は事務職員にもかかわらず、街に出没した猿を捕獲するなどいろいろな仕事をしましたが、メインは広報を担当していました。広報に関わるものすべてに携わったので、企画立案から取材・写真撮影、記事執筆、編集・校正まであらゆるスキルを身につけることができたのはよい経験でした。
またそのころはWeb黎明期。Webサイトに関する知識がある人が少なく、「若いから」という理由だけでWebサイトの管理も任されました。しかしこれがのちのフリーランス生活におおいに役立つことになります。
その後、公務員として5年勤務したのち、夫の仕事の関係でドイツへ行くことに。初めての海外生活に胸を躍らせましたが、英語もドイツ語もほとんどできなかったので、ドイツでの1年間はほとんど語学漬け。かなりつらい苦行の日々でした。
帰国後は前職のスキルを生かしてWebディレクターに転職。このころには「これからもずっと転勤が続くだろう」ということが分かってきたので、手に職をつけようと思ったのです。
そのかいあって、2度引越しをしましたが、どちらでも大手メーカーの広報部に勤務することができました。派遣社員ですが専門職なので待遇もよく、転職としてはなかなか上手くいった方だと思います。
東京で働いていたときは、コーポレートサイトの全面リニューアルに立ち会ったので忙しく、終電で帰ることも少なくありませんでしたが、充実していたので苦になりませんでした。
この時点で広報・Webディレクターとしてのキャリアは10年近く。できれば正社員になりたいと思いましたが、短いときには1年で転居する生活ではそれもままなりません。
しかし、職場を移ったことでいろいろなスキルも身についていたので「この先どこに引っ越すことになっても仕事はできるだろう」とのんびりとかまえていました。
むしろ「いろんな地方で美味しいご飯が食べられていいじゃない」ぐらいに思っていました。この後の苦労も露知らず。
年齢が原因であわや不採用! 地方格差を強く実感
次に転居したのは米と地酒、魚の美味しい、ある地方都市です。これまで同様、Webディレクターの仕事を探しましたが、なかなか見つかりません。
それもそのはず。東京からほど近いその地方都市では、東京本社や東京にある制作会社がWeb制作を担当することが多く、地元企業はWebディレクターを募集していなかったのです。
あれから7、8年経ったので現状は変わっているかもしれませんが、これには驚きました。どこでも働けるようにとWebディレクターになったのに、募集していないとは。時給はずいぶん下がりますが、選ぶ余地がないのでやむを得ません。ある企業の広報部に事務職員として勤めることにしました。
さらに採用面接を担当した正社員からショックな一言が。「カマツさんは年齢が高いので別の人を採用しようかとも思ってたんですが、こんなにWebスキルのある人なら来てもらってよかったです。」
30代後半のわたしより10歳年下の彼は「年齢で判断しなくてよかった」という美談のつもりで話したようなのですが、かなりショックを受けました。
どれだけキャリアがあろうとスキルがあろうと、まず年齢で振り分けられることがあるのだと。しかしこれが現実なのでしょう。
フリーランスをはっきりと意識。ランサーズへ登録
次の場所では派遣社員は難しいかもしれない。これまで何度かよぎった「フリーランス」という選択をはっきり意識したのはこの時です。
そして夫の次の転勤地が決まりました。なんと、またもやドイツ。ドイツでは夫の付帯ビザでの滞在になるため、少なくとも3年は現地で働くことができません。
ちょうどいい。どうせ働けないなら在宅ワークを探そう。そう決めてネットで「在宅ワーク」を検索。そこで出会ったのがランサーズです。登録後すぐに持病が悪化して入院治療、2年ほど家事をこなすだけが精一杯の状態で、幸先のいいスタートとは言えませんでしたが、復調してきた2015年春ごろから本格的に仕事を始めました。
ライターとして本格始動 | タスクと小額案件で自信をつける
広報・Webディレクターとしてトータル13年の経験がありましたが、これまではクライアントサイド。フリーランスとして文章を書くのは初めてです。
本当にわたしの文章にはお金を出してもらう価値があるのだろうか? 不安がよぎりました。そこでまずは自信をつけるためにタスクから始めることにしました。最初に取り組んだタスクはアンケートに答えて10円というものです。
自信のなさがよく表れていますね(笑)。次は100円、その次は500円と徐々に金額を上げていきました。承認率は100パーセント。これなら大丈夫そうだと、今度はプロジェクト案件に取り組むことにしました。
プロジェクト案件を受注するために苦労したのは、クライアントに示せる実績がないことです。ライティング歴は長いのですが、いかんせんWebサイトに掲載される記事の寿命は短い。
寝込んでいた2年の間に、自分が書いた記事はすでに消えてしまっていました。そのときはまだフリーライターになるとは夢にも思っていなかったので、画面のキャプチャもありません。後悔してもあとの祭りです。
もうこうなったら一から始めるしかありません。小額で作業量が多く、競争相手がいない案件にトライしてみよう。 時給としては微々たるものでしたが、小額でも高額でも、実績としては同じ一件です。次にチャレンジしたのはもう少し単価の高い、引越しに関する記事を書く案件です。 「実績は少ないですが、国内外を含め、引越し経験は豊富です」とアピールし採用していただくことができました。意外な経験が役に立つものです。クライアント様にもご満足いただき、かなり高く評価されたことで自信をつけることができました。 その後は、ランサーズのトライアル案件も含め、少しずつ単価が高い案件に提案して実績を積み、現在は継続案件で忙しくさせていただいてます。手がけた案件は語学学習や海外生活、ドイツビールやビジネスコラムなど。ここでもこれまでの経験が生かされます。 年を取ること。転職を繰り返すこと。通常の就職では不利になることが、メリットに変わりました。いまで約半年。体調が思わしくないときには休むこともあったので、順調ならばもう少し早く成果を上げることができるのではと思います。 ライティングは「ただ文字を書くこと」と言ってしまえばそれまでですが、文字に意味を込め、文章に価値を付与することで大きな力にもなり得ます。そしてこの力を生かせる場所がありました。ランサーズです。 流浪生活では決まった仕事につくことができませんでしたが、ランサーズをプラットフォームにすることで、望んでいた安定を得ることができました。 いまは「ランサーズに軸足を置いていれば、世界中どこに行っても働ける」という自信と安心感があります。今後は継続案件と平行して、自分でWebメディアを企画・運営していきたいと考えています。 これからもどこに行くのかさっぱり分かりませんが、どこに行っても自分の力を活かして働いていきたい。そう思っています。ランサーズを軸に、世界のどこでも働ける強さを手に入れた