副業の成功パターンは、個人事業主になるのが一歩目
まずは自分の「わざ」を磨くことと、ベンチャー精神が重要
何をするにも腕がないことには話になりません。商売に元手がいるように、副業から個人事業への展開にはその上に知的な元手がいる、つまり技術とか専門知識、経験など。技術畑でなくても、例えば私の縄張りである英語を使う仕事でも「わざ」という元手がいります。
長年の大使館勤めから引退して物書きをしている私は、いまでこそ日英どちらでも思うように書けるようになっていますが、現役時代は「本業」の日々の仕事に追われながら、「わざ」を磨いていました。
言葉は使ってなんぼ、という世界ですから。本業で磨かれた「わざ」が副業を呼び個人事業への道につながります。さらに、磨き込んだ「わざ」をいつの日か活かそうという、想いがエネルギーになります。
日々の仕事から副業が生まれる
だから、会社の仕事をしながら個人事業も考える、つまりあからさまに二足のわらじを履く発想はよい結果を生まないものです。俗に言う「虻蜂取らず」に終わることが多い。
私の場合、大使館の主席通訳ともなると、仕事量も密度も半端ではありませんから二足のわらじはそもそも無理です。でも、それだけ本業に打ち込んでいくと、ごく自然に「わざ」が磨かれていきます。
仕事を端で見られて、「これは公の場でなく……」という副業を頼まれることが増えてくる。磨かれっぱなしの「わざ」が生きる、という流れになります。
引退したいま、磨かれっぱなしの「わざ」がクラウドソーシングという副業の場で活きて、晴耕雨読という本業を支える「個人事業」(にはほど遠いのですが)に発展している、というわけです。
副業に向いている言葉の「わざ」
蕎麦好きの人なら「うまい蕎麦」がどんなものか、あれこれ講釈はいらないものですが、言葉の世界がずばり同じ感覚で巧拙が分かります。蕎麦職人に「打ってなんぼ」の修業がいるように、英語扱いにも「使ってなんぼ」の経験則があります。
経験を積み重ねた人なら、という前提ですが、英語使いの「わざ」は副業に向いています。そんな人はほぼ間違いなく日本語も巧みだから、言葉の「わざ」は副業に向いています。
文才があれば、つとに国際化の波が押し寄せる昨今、著作から比較文化の世界へ、国際的な個人事業の道すら広く開かれています。
若き日の夢を副業に、そして個人事業に
どう生きても一生は一生です。揺りかごのなかでお墓を考える人はいないものですが、それでも自分の一生をどう生きようか、と考える時期はきっときます。人さまざまですが、ふと考えるその時こそが先々の副業を企てるチャンスです。
それが精気溢れる若い頃なら、発想も豊かで内容も充実している。副業から個人事業へ展開できる環境を備えた「本業」を探す余裕があります。夢を見るのは若者の特権だから、自分の無限の可能性の中から企画する、仕上げの部分に本業を離れた副業を想定するのは、大いにあっていい。
壮年から老年へ、頭脳に陰りがみえるようになっても、若いころに発想した副業が、あわよくば個人事業に展開していたら、あなたの夢は晩年に活きることになる。なんと素晴らしい展望ではありませんか。
それはもう副業なんかではない
そう考えてくると、思いはそもそも仕事とはなんぞや、という根っこの部分に立ち戻ります。囲碁など、布石から中盤そして寄せまで、一局の流れを見透して、名手ほど初手から考え込むものです。
打ち慣れた定石に頼って打ち進みながら、曲がり角であきれるほど考え込む。こんなところ、人生に似ていませんか。学校選び、仕事選びに定石風なところがある。
副業選びだって当然あっていい。いや、むしろ副業などではなく仕事選びの「一手」としてうんと手前で考えておくのが賢い選択といえるでしょう。副業つまりサブなものではなく、人生のメインなものとして意識しておくのが賢い。
私ごとですが、英語の「わざ」で私の晩年は実り多いものになっています。気がついてみたら、素晴らしい副業が待っていた、という実感です。
80歳にもなれば、壮大な個人事業に発展させる気迫は欠けますが、幸いランサーズという土壌を得て、なにか面白い「知の野菜」でも育てられれば、と日々考えています。