さすらいのエンジニアが最先端のプロジェクトを渡り歩く

さすらいのエンジニアが最先端のプロジェクトを渡り歩く
システムの要件定義から計画、プログラミング、導入、さらにはインフラ設計・構築まで全てを1人でこなせるスーパーエンジニアの高木氏に、これまでの道のり、仕事に対する取り組み方をインタビュー。フリーランスとして独立するも1度は挫折を味わい、それでも再びフリーランスを選んだエンジニア人生。
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大手案件を上流から任されるフリーのスーパーエンジニア

高木氏は、大手ヘルスケアメーカーのアプリ開発を上流工程から任されている。フリーランスの立場で、システムの設計や計画など、上流工程を任されることは、高木氏の技術力の高さを証明している。

これまで高木氏は、サーバサイドやフロントエンド、インフラ設計などの幅広いシステム領域の企画から開発・構築まで経験し、着実にキャリアを重ねてきた。学生時代は、工学部でロボット研究に携わり、のちに、ハード周りのプロジェクトで知見を十分に発揮した。

フリーランスで大規模案件の上流工程を任されるフルスタックエンジニアに成長した軌跡は、とても興味深い。

要件定義からプログラミング、さらにはインフラ設計・構築まで全てを1人でこなせるスーパーエンジニア高木 崇氏のインタビューをお届けします。

上流工程から下流工程までの実力

–フリーランスのエンジニアとしてご活躍されているとお聞きしています。現在は、どのようなお仕事をされているのか教えてください。

女性の体調を管理するアプリの開発に携わっています。上流工程から参加させていただき、クライアントのヘルスケアメーカーの人達と打合せを重ねながらアプリの設計を行いました。今は、これまでに経験を積んだ下流工程の技術を活かしつつ開発を進めてます。

6ヵ月のプロジェクトですが、ちょうど3ヶ月が経ちました。3ヶ月後にアプリをリリースする予定です。

–プログラミングなどの下流工程の仕事をする人は多いですが、設計などの上流工程を任されるエンジニアは少ないと思います。以前から上流工程も得意とされているのでしょうか?

長い間、プログラミングなどの下流工程の仕事が多く、そろそろ上流工程の経験を積みたいと考えていました。そんな時に獲得した仕事が現在のアプリ開発です。この仕事は、私がフリーランスになって獲得した最も理想的な仕事です。

ITの歴史と共に歩んだ時代の申し子

–どのようにエンジニアとして成長されたのか、お話を聞かせてください。高木さんは昔からパソコンやプログラミングが好きだったのでしょうか?

たしかWindows98が発売されて、しばらくした頃だと思います。中学校の授業でインターネットを知りました。「これはすごい!」と思いましたね。

家に帰るとさっそく父親に頼んでパソコンを買ってもらい、インターネットをつなげました。当時はまだダイヤルアップ回線でスピードは遅かったですが、夢中でネットサーフィンしていました。

–その後、プログラミングを学ばれることになりますが、インターネットに出会ってすぐに興味を持たれたのでしょうか?

すぐではありませんが、パソコンを使っているうちに、「コンピューター関係の仕事をしたいな」と思うようになりました。中学卒業後はプログラミングを勉強できる工業系の高等専門学校に進学したんです。当時はC言語ばかりを勉強していましたね。

しかし、だんだんと興味が薄れ、しばらくプログラミングから遠ざかった時期もあるんです。

それでも、「やっぱりコンピューター系の道に進みたい」と考え、最も興味のあったロボット関連を勉強するために大学の工学部へ進学しました。ロボットを制御する仕組みにC言語を使いましたので、高等専門学校で学んだことが役に立ちました。

–大学卒業後はロボット関連の仕事に進もうとは思わなかったのですか?

ロボット関連の仕事に憧れはありましたが、大学卒業後、大学院に進学して、データベース系の研究室に入りました。そこでは、Web上のデータを集めて、その中から有益な情報を探しだす、そのような研究をしていました。新しい技術に関心があったんです。

新しい知識を学びたい!それがスーパーエンジニアへの道

–大学院を卒業後、楽天に就職されました。どうして楽天を選ばれたのでしょうか?

大学院生時代にインターンでお世話になったのが楽天でした。自由な職場の雰囲気が気に入ったので、エンジニアとして就職させてもらうことに決めました。ちょうど三木谷社長が「社内の公用語を英語にする」と決めたころだったので、英語では少し苦労しましたね。

–楽天へ入社後は、大学や大学院で学んだことが活かせたのでしょうか?

学んだことを活かしたいというより、新しいことを学びたいという思いでした。

楽天に入社後は、サーバサイドの技術を使う仕事に携わりました。Webサイトを訪問した人の閲覧履歴をもとに関連情報をサジェストする機能の構築です。とても面白くて、勉強になりました。

–楽天で面白い仕事に携われていたのに、その後、面白法人カヤックへ転職されました。どうしてでしょうか?

楽天では、サーバサイドの面白さを知りました。すると今度は、フロントエンドの技術に興味が湧いてきたんです。

そんな時、エンジニア系のカンファレンスで知り合った面白法人カヤックの社員に声をかけてもらったのがきっかけでした。

当時は、「新しい知識を勉強したい」という思いが本当に強かったんです。

–面白法人カヤックでは、やりたい仕事ができたのでしょうか?

はい、できました。キャンペーンサイトの制作が主な仕事で、1番面白かったのは、「リアル!? ONLINE SHOP」と言う企画です。

オンラインショッピングでは商品の使用感が伝わらないので、Ustreamで実際の使用感を生中継するんです。その時に、商品の予約サイトへのリンクボタンがクリックされると、スタジオにある「パトランプ」が点滅するという企画です。

この時に使った技術は、Webでクリックされた情報をリアルタイムに、スタジオに設置したサーバーへ送り、パトランプを制御するというものでした。「ハードをかじろうぜ!」という風潮もあり、自分でパトランプのはんだ付けもやりました。

–学生時代と楽天時代を含め、それまでに学んだ知識が活かせたのではないですか?

そうですね。学生の頃に勉強したロボットを制御する技術や、楽天で学んだサーバサイドの技術が役に立ちました。そして、フロントエンドの新しい技術を手に入れることができました。

–その後、1度フリーランスになられました。しかし、すぐにベンチャー企業へ就職されています。その経緯を教えていただけますでしょうか?

面白法人カヤックはとても楽しい職場だったのですが、自分の力を試したいと考え、フリーランスの道を選びました。ところが、ほとんど無計画だったので、まったく仕事がなく、生活がままならない状況に陥りました。

これはまずいと思い、Wantedly(ビジネス交流SNS)でIoTに取り組むベンチャー企業を見つけ、そこで働くことにしました。当時、IoTにとても関心があったんです。

–そこでも新たに学ぶことがあったのでしょうか?

その会社が扱うサービスは、家庭や店舗の消費電力を計測し、それをWeb上で可視化するというものでした。私が入った時は、エンジニアの社員が私だけという状況で、開発体制の整理や、規約の見直しなど、幅広い仕事を担当しました。結果、2~3年働きました。

この職場では、インフラについても責任を負わなければならなかったので、インフラ周りの技術を手に入れることができました。

上流工程を経験することでいよいよスーパーエンジニア

–その後、本格的にフリーランスのエンジニアとして活躍されます。1度あきらめたかに見えたフリーランスの道をもう1度選んだのはどうしてでしょうか?

実は、IoTのベンチャー企業で働くかたわら、週末だけBarで働いていました。そうすると、平日はエンジニア、週末はBarで働くというハードなスケジュールになってしまいました。結構きつかったんです。

Barの仕事を辞めればいいのですが、お金では計れない楽しさがあったので、Barの仕事を辞める選択はありませんでした。

幸い、知り合いからシステム開発の仕事をちょくちょく頼まれるようになってきました。Barで知り合った社長さんから「Webサイトを作ってよ」と頼まれることもありましたね。

そうなると、「フリーランスで生活していけるのではないか」と自信が出てきたんです。それで、再挑戦することにしました。

–再びフリーランスのエンジニアになられ、順調に仕事を獲得できましたでしょうか?

フリーランスになってからすぐ、フィンテック系ベンチャー企業が開発する電子決済システムの仕事を任されました。

バイオメトリクス認証を使った電子決済システムの開発で、サーバレスアーキテクチャを学ぶことができました。簡単に説明すると、バイオメトリクスの情報をAWSに送って解析させ、それをシステムに送り返す新しい技術を使った仕組みです。

そしてこの仕事の後、現在のアプリ開発の仕事に参加することができました。

スーパーエンジニアが見据える未来

–現在のアプリ開発のお仕事をされたことで、上流工程から下流工程までをこなすスーパーエンジニアと呼ぶにふさわしいご経験をお持ちだと思います。今後は、どのような活躍を思い描いていらっしゃいますでしょうか?

私は、これまでの経験から、会社の中で決められた仕事を淡々とこなすよりも、ゼロから新しい物を作り上げるベンチャー企業の様な体質が肌に合うと感じています。

特に、アイデアを技術で実現させるところに自分の強みがあると考えています。それなら、素晴らしいアイデアを持った人をエンジニアとして支えるCTOのプロを目指せばいいんだと考えるようになりました。

いずれは、ベンチャー企業のCTOとして活躍したいと夢を思い描いています。

【高木 崇】
筑波大学大学院卒業後、楽天にサーバエンジニアとして入社。その後、面白法人カヤックへ転職しフロントエンジニアとして広告系案件のWebサイト開発などを行なう。退職後、一度フリーランスになるもIoTのベンチャー企業に就職、インフラの技術を身につけ再度フリーランスとなり活躍中。
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