フリーランスになってわかった、編集者の奥深さ。

フリーランスになってわかった、編集者の奥深さ。
編集者になるために選んだのは、東京の大学を卒業して出版社へ入社すること。東大の文学部で美学芸術学を専攻し、後に株式会社KADOKAWAへ。現在はフリーの編集者として活躍する、早野龍輝氏の経歴と労働観に迫ります。シリーズ、『たとえば、こんなフリーランス』。
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東大を出て、KADOKAWAを出て、フリー編集者に

フリーの編集者として、出版社や複数企業のオウンドメディア企画・運用に携わる早野 龍輝 氏。編集の道を志したのは、地元熊本で高校生活を謳歌していたころだった。マンガや小説を書きながら、いつしか編集という仕事に憧れを抱くようになる。

「出版社で働きたい」。

そう思ったときから、卒業後の進路が決まった。「出版社が多いのは、東京だ」「東京で働くなら、東京の大学を出よう」「東京の大学といえば、東京大学だ」「そうだ 東大、行こう」。非の打ち所のないライフプラン。一分の隙もないと思った。

しかし、世の中はそんなに甘くない。夢かなわず、浪人生活が始まった。翌年も、その翌年も不合格の通知が届いていたなら、現在の彼はいなかっただろう。

一年後、東大に入学した早野氏。卒業後は出版社に入り、念願の編集者となる。社会人になって、3年。KADOKAWAを退職し、フリーランスの編集者として活動を始めた。

※多様化する働き方とフリーランスという選択。フリーランスの編集者として活躍する、早野氏へのインタビューをお届けします。

編集者になるため、浪人して東大に入学

取材中の早野さん

――「編集者になりたい」から、東大を目指したというのが面白いですね。

出版社に入ろうと思い探してみると、東京に多くの会社がありました。東京の出版社に入るためには、やっぱり東京の大学に通うほうが有利だろうと思ったんです。

――とはいえ、東大である必要はないんじゃないかと……

高校二年のころに、講談社から刊行されたドラゴン桜がドラマになったんですね。作中の設定と同じように、僕の高校でも東大を目指す特進クラスみたいなものが設置されました。東京の大学に行くなら東大を目指そうと決めて、6人だけのクラスに配属してもらって。

残念ながら現役では誰も合格しなかったんですよ。毎年数名は入学してたんですけどね。これはちょっと悔しいぞということで、1年間だけ浪人しました。結果、6人中3人が東大に入ることができたんです。

専攻は文学部の美学系、評論系の学科でした。15名しかいないクラスでしたが、卒業生は出版社や新聞社に就職する人が多かったんです。それも東大を目指した理由のひとつかもしれませんね。

念願の出版社へ就職

――当然、就職活動では出版社を受けまくったわけですね。

いくつかの出版社に訪問して、内定をいただいたのが中経出版という会社でした。50年ほど前に中小企業経営研究会として発足され、主に会報誌をつくっていたんです。そこからビジネス書や女性向けの書籍などを出すようになって。十年ぶりの新卒採用でした。

新卒で編集の仕事に就くって、なかなか難しいことだと思うんですよ。編集職は基本的に個人プレーであって、新人だろうがベテランだろうが、責任の重い仕事。

自分で考えた企画は絶対に形にする、つまり出版しますし、印刷物を出すには数百万円というお金が動くわけです。なんとしても回収しなくちゃいけませんからね。出版までの期間も、けっこう足が長い。短くて半年、長ければ1年や2年という歳月が必要になります。

書き手である著者、作家さんとの付き合いも一筋縄ではいきません。彼らの意向をくみながら、出版社との間で奔走するのが編集者の役割でもあるんです。

転機となったKADOKAWAへの入社

――最終の職歴は株式会社KADOKAWAですよね。

編集の仕事の難しさと面白さが分かってきた、2年目の終わりですね。中経出版が吸収合併され、KADOKAWAのなかにビジネス書籍の部門ができる形で入社しました。集団転職みたいな感じですね。

やっぱり大手なんで、大きな仕事ができるんだろうと期待していた部分はありました。でも感じたのは閉塞感に近い感情。大企業病の症状で、とにかく手続きが多かったんです。社内調整につぐ社内調整、手続きのための手続き。調整ごとばかりに時間をとられて、一番大事な書籍づくりができていない自分がいました。

編集のイロハは分かって、少し実力がついてきた頃だったんですね。だからこそ、本づくりに時間を使えない環境が嫌になって。知り合いをみると、26歳くらいの同年齢でフリーランスとして活躍している人がたくさんいました。「僕にもできるんじゃないか」と思い始めたところから、独立という選択肢が自分のなかでむくむくと大きくなっていったんです。

お金のためだけに働くような、虚しい仕事はしない

取材中の早野さん

――フリーランスになったことで、仕事に対する考え方の変化はありましたか?

編集者としてコンテンツを制作して、お金を貰えたら仕事は終わりではあるんです。メディアに掲載されようがされまいが、お金は手に入る。

でもそれは虚しいなと。時間をお金に替えるような働き方はしたくない、そう感じるようになったんです。継続するものをやりたい。だからこそ、続いていくWebメディアを選ぶようになったんです。

「流行っているからやってみたい」というクライアントには、しっかり信念を持つように伝えるか、Webメディアをつくらないという選択を提案するようになりました。お互いがお金のためだけじゃない目的を持っていないと、虚しい仕事になりかねないですから。

下請け100%で仕事をしていたら、クライアントの顔色を伺ってばかりになります。間違っていると思っても意見を言わなくなる。でもそれって、本当の意味でプロの仕事じゃないと思ったんです。だから揉めたとしても、間違っていれば指摘しなくちゃいけないんじゃないですかね。

編集は社会的意義のある仕事だから、プロでいつづけたい

取材中の早野さん

――これぞ、プロの編集者! という仕事をしていきたいわけですね。

編集者の役割はいくつかありますが、少なくとも、ライターの書いた記事を掲載することだけが編集者の仕事ではないと思います。

オウンドメディアに編集者が介在する価値は、客観的な視点を持って、相対的な価値を発見することや引き出すことだと思っています。企業はどうしても、自分たちの目線と言葉で語ってしまいがちですから、それを読者側にわかる平たい言葉と説明に変えてあげることが大事です。

そのために、「どんな立場で誰に対して語るか」を明確にし、クライアントとライターと共有してから作業を始めることを徹底しています。

また編集者には、仕事をつくるという社会的意義があるんです。編集業の後ろには、ライターやデザイナー、校正者、取材相手、DTPオペレーター、印刷所と取次、書店。Webであればサーバーに関わる人たちもいます。非常に社会的意義が大きい仕事だと思うんです。

ステークホルダーたちをまとめて、仕事をプロデュースする存在なんだと。圧倒的な自由と責任がある仕事なんです。KADOKAWAを辞めるときには編集の権化みたいになろうとは思っていませんでしたが、フリーになって改めて実感しています。

プロデューサーのなかの編集者。プロフェッショナルの編集者でありたいし、生涯、編集者でいつづけたいと思っています。

<おわり>

【早野 龍輝】
1988年熊本県生まれ。メディアディレクター、編集者。2012年、東京大学文学部卒業後、書籍編集者としてのキャリアをスタート。ビジネス書の書籍編集者として活動、企画・編集した書籍は34冊を数える。2015年、株式会社KADOKAWAを退社、株式会社メディア・コンフィデンス を設立、代表取締役に就任。出版業界での4年間の経験をベースとした企画立案、制作ディレクションをはじめ、オウンドメディアの立ち上げやビジネスプロデュースを行なう。
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