高校時代、ある小説家に憧れ目指した文学の道 | 挫折を経た今、青年はフリーライターの世界へ

高校時代、ある小説家に憧れ目指した文学の道 | 挫折を経た今、青年はフリーライターの世界へ
芥川賞作家・綿矢 りささんに一目惚れし、作家を志したヴィスコさん。20歳のころには賞も受賞し、短編集に名を連ねたこともありました。しかし、ほどなくして挫折……。カフェ店で働きはじめた彼でしたが、自分の働き方にいまいち納得ができずにいました。そんな時、趣味で知り合った知人の一言で、彼の人生は一変。ヴィスコさんが心動いた一言とは? クラウドソーシングで人生が変わった男性の物語です。
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“熱して冷まして”を繰り返したフリーランスまでの道のり

会社に勤めていた時とフリーランスとなった今。一番の違いは何かと聞かれれば「NO」と言う機会が多くなったことでしょうか。

執筆依頼が来ても私の信念や考え方にそぐわなければNO。提案されたレイアウトが気に入らなければNO。そんなことをしていると、いずれ干されてしまうかもしれません。でも自分を捻じ曲げて仕事をするなら、会社勤めでも変わらないと思いませんか。

クライアントと意見を交換し、お互いが商品の価値を高めていく。私はそれに応えるだけのライティングをするために日々頭を抱える。フリーライターとして独立してから、とても刺激的な日々の連続。こうして苦心したコンテンツが公開された時、私は心の底から人生の意義を感じることができるのです。

「物書き」として生きるという夢を、私はフリーランスになったことで成し得たのですが、思えば決して平坦な道のりではありませんでした。

偽り続けたカフェ店長時代

本

高校時代、夜のニュース番組を見ていたある日の事です。何気なく画面に目をやっていると、絶え間ないフラッシュの中控えめな笑顔でインタビューに答える一人の女性が映りました。その女性は19歳で芥川賞を受賞し、最年少の受賞記録を更新した綿矢 りささんでした。

容姿端麗な文学少女。無垢な高校生は彼女に一目惚れをし、あろうことか急転直下の結論を出します。「自分も芥川賞作家になって、彼女に近づこう。」今考えると頭痛を催すほど間抜けな発想ですが、当時の私は何の疑いもなく夢の実現へと動き出しました。思春期って、恐ろしいですね。

HPを開設して自作の小説を投稿する毎日。作家を目指すために東京の学校へ進学。親を説得し、何と新聞奨学生になってまで意志を貫き通したのです。しかし青い恋の熱は、いずれ冷める日がやってきます。東京で暮らし始めると彼女の存在を忘れ、ただ純粋に文壇を志す一人の青年となりました。

20歳の頃には小さな文学賞を受賞し、短編集の一遍に名を連ねたこともあります。しかし、そこから何か新しい道に繋がることはありませんでした。無作為に過ぎる毎日。夢は徐々に色褪せていき、自分は何者でもないという現実が目の前に現れた時、とうとう理想をかなぐり捨て就職口を探しました。

何か新しいことに興味を持とう。そう思いカフェチェーン店の店長候補として働き始めたのが2年前のことです。ここで働いて貯金をして、いずれ独立して自分の店を持つ。そんな新しい目標ができました。

しかし2年目を迎えてすぐに私の労働環境が一変します。同じ店舗に立っていた私以外の社員が全員退職し、そのしわ寄せで半年以上休日が無くなったのです。

何とか自分の休日を作ろうとスタッフの募集をかけるも、なかなか定着せず状況の改善が見込めない。パート・アルバイトを休ませるために自分が超過勤務してカウンターに立たなければいけない。もちろん、そんな状況では体調を崩しても休めない。

その「ない」物尽くしの日々は確実に私の心を蝕みました。なぜ、自分はここにいるのだろうか。なぜ、自分は仕事をしているのだろうか。時折、何もかも無茶苦茶にしてしまいたい破壊衝動に駆られることもありました。

疲労から大きなミスを引き起こして叱責されると存在意義すら見失い、もはや精神的に限界。そんな私を支えていたのは、趣味であるサバイバルゲームだったと言ったら、きっと笑うかもしれませんね。

道を照らす先駆者の存在

家族写真

私は根っからの趣味人間で、人生で一番投資しているのは間違いなく趣味です。中でも5年前に始めたサバイバルゲームに関しては、病的なのめり込みと言っていいでしょう。

休日がなくとも勤務時間を調整して朝から夕方まではサバイバルゲームを楽しみ、終了したら職場まで飛んで帰り夜から働きだす。月に一度そんな日を設けていました。

正気の沙汰とは思えないスケジュールですね。さらに少ないプライベートの時間の中でサバイバルゲームに関するブログを運営しました。文章を書くことだけは、やはり止められなかったようです。

私が趣味に時間を費やすのを惜しまなかったのは、単に好きだからという理由だけではありません。そこで出会い、親交を深めた友人の存在が私をサバイバルゲームへと傾倒させました。

趣味の仲間というのは不思議なもので、年齢や職業という垣根がなくなります。ただ楽しい時間を一緒に過ごし、共通の話題で盛り上がる。打算や損得がない関係の心地良さは、私にとって何物にも代えがたい大切な宝物です。

趣味を通じて出会う方の中に、私がフリーライターとなるきっかけを与えてくれた方達がいます。財布からホルスターまで幅広く革製品を手がけ、日本中にファンを持つレザークラフト「RISE」というブランドを営む二人のご夫婦です。

折しも自宅からすぐの場所に住んでおり、趣味の話だけではなく人生の先輩としての教訓や姿勢を学ばせていただきました。

その中で最も印象的だったのが、職人である奥様の言葉です。「可能な限り、作った商品は手渡しをしたい。実際手に取った時の、喜んだ顔を見る時が一番やり甲斐を感じる」私はそれを聞いた時、カフェの仕事に自分の喜びは見いだせているだろうか、と疑問を感じました。

もちろんお客様にコーヒーが美味しい、サービスが良い、と褒められれば嬉しく思います。しかし、それは私が望んだ形の喜びではありませんでした。何かが心の中で引っかかり、素直に受け入れられなかったのです。

そして、ある日「RISE」の代表であるご主人に言われた何気ない言葉が私にスイッチを入れました。「ブログ面白いよ。文才あるね。」もう一度「物書き」としての道を目指すと決めた瞬間でした。

夢のような錬金術

まるで芥川賞を目指したときのように衝動的で瞬発力のある夢。無計画な思いつきでは、あの時のように挫折するのは明白です。同じ失敗を繰り返さないようカフェで勤務しながら物書きとしての道を模索していた時、一人の友人がクラウドソーシングサイトの存在を教えてくれました。

出版社や広告業者での勤務経験がない私にとって、まさに渡りに船。早速「ランサーズ」に登録して、慣れないシステムに戸惑いながらも、なんとか記事を入稿。本当にどこかのサイトに載るのか、と思いながら掲載サイトを覗いてみると、そこには私の執筆した「作品」が公開されていました。

大袈裟かもしれませんが、この時の高揚感は生涯忘れないでしょう。私が自分を満たすことのできる執筆で報酬が発生し、誰かの目に止まる。その人が私の文章を読むことによって、何か新しいことを始める後押しになり、人生を豊かにするかもしれない。まるで錬金術です。

そう考えるだけで、私は自分の価値を見出すことができました。カフェの店長時代では、一度も味わうことのなかった喜びです。

それからも何度か依頼を受け、好きなペースで好きな文章を書く日々。ついには私のライティングを読んだ出版社の方の目に止まり、紙媒体での執筆依頼の話も舞い込んできたのです。夢は確信に変わり、私は独立しました。

まるでB級ドラマ仕立てのサクセスストーリーのようです。学生時代に夢見ていた形とは少し違いますが、今の私はフリーライターという仕事に誇りを持っています。そして何より、フリーランスという生き方が自分らしくいられる自然体なんだと思います。

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