ヨーロッパの秘境・マルタ島で暮らす! 地中海のビーチが私の仕事場です

ヨーロッパの秘境・マルタ島で暮らす! 地中海のビーチが私の仕事場です
国内の生活に別れを告げ、なかばヤケクソ気味で飛び出した海外。向かった先はヨーロッパにある絶景の島・マルタ。フリーライターの澤田 アキキーナさんは、好きな国・場所に身を置きながら執筆作業に取り組んでいます。紫外線を気にした昔とは違い、もう日焼けだって気にしない。自分の生き方・働き方を手にした彼女の半生をご紹介します。
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海外とは無縁の生活を送った20代。趣味は美白のふつうの女の子でした

今、マルタ島でこの記事を書いている。
いつの間にか地元のおじちゃん方に囲まれる。
これがマルタ。
とても居心地がいい。
リラックスしている。
そして今、仕事をしている。

大学には行かずに18歳から社会人となった私には、海外など縁もゆかりもなく、高卒なりに認められたい一心で働きキャリアを重ね、一部上場企業への就職も果たしました。海外にはなんとなく興味があったけど、英語なんて話せない。

留学をしていた友達もいたけれど、彼女の家は裕福でした。危ない、怖い、今の仕事を辞めるなんてできない。遠くのビル窓のカーテンが、私の意思と関係なく揺れるように、海外とは無縁の生活を送っていました。

24歳で結婚して、車を買い、可愛らしいインテリア雑貨で家を彩りました。その後、離婚してからはますます仕事に力を入れ、ボーナスが出る度に自分へのご褒美に買ったバッグは数知れず……。

夏は沖縄のリゾートホテル、冬は苗場へスノーボードをしに行くのが毎年の恒例。充実の20代。スキンケアも念入りに、趣味は美白。日焼け止めと保湿は欠かせませんでした。

旅にハマる。3年間で15カ国はもはや旅中毒!?

マルタ島の人々と日本人女性

転機は29歳のときでした。少しかじっていた趣味の幅を広げたくて3ヶ月間のイタリア語学旅行へ。イタリア到着直後におきたトラブル。イタリア語が全く話せず、困り果てていた私でしたが、周りに集まった旅行客や空港スタッフがとても親身になって助けてくれました。

この一瞬でイタリアが好きになりました。イタリアをもっと知りたい! もっと色々な人と出会いたい! という欲望に駆られ、3ヶ月の間にイタリア国内はもちろん、ホリデーの度にヨーロッパ周辺国を次々と旅行するようになりました。

もちろんツアーや代理店は使っていません。すべての旅を自分でアレンジメント。航空券を予約するときのワクワク感。アドレナリンが湧いてくるのを感じました。その土地の言葉はわからなくても何処へでも行きました。

道を尋ねる。会計が正しいか確認する。たまにケンカもする。会話する事に躊躇なんてしない。だって、その時に話さなきゃチャンスはもう来ない。後になって「実は……」なんて、海外では誰も聞く耳を持ってくれないし、過去の事を1から伝える語学力もありません。

帰国後も長期休暇の度に近くは韓国、遠くはインド。空港へ向かえば、そこはもう海外へつながる一本道。無駄に行動力だけはある私はすっかり旅中毒に陥っていました。数えると3年間で16カ国、総数22個ものスタンプがパスポートに残っていました。

33歳。言い渡された”不妊症”の可能性

33歳になったある日。健康診断ついでに受けた婦人科検診で思いもよらない診断を受けました。「もう排卵する力が弱くなってきてるみたいよ。今の卵じゃ妊娠するには小さすぎるし育っていない。女性には限りがあるから、ピルを飲んで排卵を調整して、早く子供を産みなさい。」

婦人科の先生はそう言って少し同情の目を向けたのち、排卵スケジュール表を淡々と作りました。子供を持つ事なんて、まだまだ先の事だと思っていました。

早く子供を産みなさいなんて言われても、焦りたくはなかった。この頃、既に自分自身の ”男を見る目” に絶望していた私は、結婚願望もすっかり消え失せていました。

このタイミングでの不妊症通告。突きつけられた ”リミット” は、私にどうしようもない孤独感を感じさせ、女性としての自信も失っていきました。生き方を考え直さないといけないと頭をフル回転させた時に、ポロっと本当にやりたい事が1つだけある事に気がつきました。

「海外で暮らす。」もしも子供ができないなら、私自身が楽しめる人生を自分で作らないと。33歳。今現在、海外で何年も滞在するために十分な貯金もない。すべての国のワーキングホリデー制度は、すでに年齢制限をオーバーしていた。でもやってみたい!

「住所不定無職への不安はありません!」と自分を説得

海辺の女性

海外に旅立つことを決意した私には、国内に荷物の置き場所がありませんでした。そのため、自分自身の持ち物は全部持って行かなければいけない。110リットルと34リットルの2つのスーツケース。40リットルのバックパック。これに入らない物は全て処分しなければいけませんでした。

でも、物を手放すたびにひとつずつ身軽になっていく。物を持たない事で、自分自身の中にある依存心が少しずつ無くなっていきました。身も心も自由って、こういうことなんだなと感じました。長年続いたサラリーマン生活への決別も、以外にあっさりと決断することができました。

「収入も無く、家も無くて不安にならないのか?」という質問をよく聞かれます。そう、まさに文字通り「住所不定無職」。言葉にすると不安になりますが、その度に自分自身を納得させるために、いつもこの説明をしました。

「お金が続くまでは自分への投資として英語を勉強していく。その後、資金が尽きたらボランティアでもして気楽に生活していくつもり。だから私の持ち物はこれだけていいんだよ」と。25インチのデスクトップPCを13インチのラップトップPCに買い換えました。新しい旅のパートナーとして。

運命だとしか思えない! すべての願いが叶えられたマルタ島

移住先にマルタ島をチョイスした理由は……

1、物価が安い
2、ヨーロッパだけど英語が公用語
3、だけどイタリア語が通じる
4、青い海と広い空
5、とにかくほとんどパラダイス

すべてがパーフェクト。マルタの事を知った時には、これは運命なんじゃないか? とさえ思いました。実際、英語よりもイタリア語のほうが使いやすい私にとって、イタリア語が通じる事は非常に便利でした。これからの事は決まっていなかったけれど、やることの焦点は絞っていました。

1、日本には戻らない。
2、ツーリストビザ有効期間の3ヶ月の間に英語を習得する。
3、英語が話せればなんだってできる……はず!

自信はありました。いや、自信だけしかなったと言うべきか。言うなれば、その先はノープランでした。

ビーチで仕事をする。マルタ流フリーワーキング

地中海随一と言われるほどの、透明度のある海と青く澄み渡った空。陽気なイタリアンな雰囲気と島特有のゆったりとした雰囲気が融合しているこのマルタは、ブログや観光ガイドに載っている情報からは想像できないほど魅力に溢れる国でした。

私はこの魅力や情報を綴るツールを探し始めました。HP、ブログ、SNS……。そんな中、見つけたランサーズ。マルタだけに限らず、世界各国で独自の一人旅を楽しんできた私には、あらゆる情報とノウハウが自然と身についていました。

私が得た情報を求めているクライアントは「ランサーズ」を通してすぐに見つけることができました。マルタ在住2ヶ月目にして「旅・旅行」をメインとした記事の依頼を頂くことができました。内容は「マルタ」の事、「イタリア」の事、「旅する33歳 独女」の事。

午前の学校が終わった後にランチを済ませビーチへ。ここが私の書斎。肌の色はもうすっかり小麦色。バスに乗る事、盛り上がっているレストランを探す事、今日の気分に合ったビーチへ行く事。

日本にいた時には目を向けていなかった事でも、この地中海の真ん中にあるマルタ島では伝えたい気持ちを掻き立てます。今日も記事を書いている私に「コンニチワ」と話しかけてくれたおじちゃん。ワインを奢ってもらう。一つ一つの出会いを楽しみながらこの出会いを書き綴っています。

フリーランスはどこへでも行ける。この発想は行動力を支える勇気になる

そして今年の11月に私は南米、ブラジルへと渡りました。場所に縛られない生活は、私の好奇心を駆り立て、行動力を発揮させます。それは、フリーランサーにとってのガソリン。

日本を飛び出した頃には歯車の ”歯” さえない状態だったけれども、フリーランスとしての自覚が徐々に芽生え始めた今、歯車を整えて私にできる事を最大限に発揮する準備をしています。今、私はとても充実しています!

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