地元愛媛と共に大事なことを忘れず一所懸命生きていく

地元愛媛と共に大事なことを忘れず一所懸命生きていく
8年間、社会福祉の仕事に携わってきた大野彩子さん。心機一転、今の仕事をやめ、昔から叶えたかった海外留学という夢を実現しました。長期間、国外で生活し日本を外から見つめることで感じたことは「日本、そして地元・愛媛の素晴らしさ」でした。今では地元・愛媛に戻り、フリーランスとして観光案内の記事を制作するなど愛媛の魅力を発信することに力を注いでいます。
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愛媛県を愛顔(えがお)溢れる街にしていきたい。

「自分の半径1.5mにいる人が笑顔でいて欲しいし、その笑顔を見ていたい」。私の人生において大事で譲れないものです。周囲の人の笑顔が、私の笑顔に繋がり幸せになるのは言うまでもないですが、私が幸せになりたいから笑顔が見たいのではありません。

笑顔が生まれるのは、私が周囲に対して一所懸命に一瞬一瞬を全力で関わっているからこそだと思います。そして、「1.5m」というのは仕事でもプライベートでも、必ずその範囲に自分の大事な人は入ってきます。

愛媛県には私の大事な人が大勢いて、この地で出会って繋がれた縁がたくさん存在しています。だからこそ、愛媛の地で根付いて一人でも多くの人の笑顔を作ることが私のやりがいに繋がり、一所懸命生きることになると思うのです。

人生の道筋が見えた20代で得た、かけがえのない出会い。

大野さん

私は今31歳。20代の8年間は愛媛県内にある施設で、生活支援員として18歳以上の知的障がいを持った方の、生活面や就労面を支援していました。元々は保育士で子ども教育の勉強をしていたのですが、学生の時から知的障がいに興味を持ち、自然な流れで働くことになりました。

この分野の仕事はすぐに介護と認識されやすいのですが、社会福祉の仕事は多岐に渡っています。私が8年間働いていた施設の利用者さんは、主に中軽度の知的障がいがあるものの、身体面は健康な方が多くいらっしゃいました。

障がいのある方の就労を目的にしており、日中は一緒に仕事(室内外で行なう作業)をし、一部の利用者さんは一般企業で働くという形。介護とは異なり知的障がいを持った方の人生を、よりよいものに手助けをするということが私の主な仕事でした。

時にぶつかり合うこともあるものの、知的障がいを持った方の純粋さや笑顔にいつも囲まれ、私にとってその時間はとても楽しく不可欠なものでした。仕事が好きでやりがいもあり、時間が経った今でもその気持ちに変わりはありません。

人生は一度しかないからこそ、大きな決断。海外留学・就職へ。

古民家

しかし、8年目を迎えた辺りから、自分にも会社にも疑問を感じる事が多くなりました。疑問とはまず仕事で最も大切な、目の前にいる知的障がいを持った方へ支援がきちんとできているかということ。同じ職場で8年間働いていると、仕事にも会社にも慣れ、一所懸命やっているつもりがどこか楽をすることを覚えていました。

次に会社の方向性が自分の大事だと思う部分と合っているかどうかということ。当時は会社自体も変化を迎えた時期であり、体制も変わり様々な方向へ進んでいました。体制の変化が会社と私に距離感をつくり、疑問を生み出したのだと思います。

2つの疑問を抱いたことはよいきっかけだと思い、私は自分の人生を振り返り、見つめ直しました。今までの記憶の隅にあったけど閉じていたドアを開けてみると、過去に思い描いていた夢やなりたかった自分像を掘り返すことができました。

そして、学生の時に知人が海外留学したのをすごく羨ましく思い、「いつか自分も留学するぞ」と思ったことを再発見しました。自問自答を繰り返し、環境も変えて仕事も人生も全て構築しなおし、海外に自分を解き放ってみようと決断したのです。

そばにいて見えなかった大事なものと地元愛。

海外留学

海外に行くことを決めた際にもっとも重点をおいて考えたことは、自分の将来への投資。今まで貯めたお金と生まれた時間を無駄にしないことと、会えなくなってしまった利用者の方へまた胸を張って会えるように、成長することを決意しました。

1年半の海外生活で滞在した国はフィリピン、カナダ、デンマーク、イギリス。それぞれの国で英語留学や社会福祉留学、そして就労経験ができました。今まで見たことも関わったこともない人や文化や国に触れ、自分の小ささや価値観の違いを肌で感じる経験でした。良いこともそうでないこともたくさん経験し、今となってはすべてかけがえのないものです。

海外に出て気づいたことは家族や友人の大切さや、地元愛媛の良さ。大事なものはすべて愛媛にあると思いました。帰るべき家があって目を見て話ができる大切な人がいて、その人たちの笑顔を見れる以上の幸せってないなとつくづく感じました。

そして自分がホッと落ち着く風景や場所、生きてきた足跡は地元愛媛にしかないのだなと思いました。もちろん日本語が通じて魚が美味しくて、好きな郷土料理があるというのも、大きな部分を占めています。

この働き方を選んだ理由とこれから何ができるか。

愛媛の海

地元愛が芽生えて確信できた大きな原因はもう一つあります。

私は今年の2月から7月末まで、公共職業訓練校えひめおもてなし科(企画・営業コース)という学校に、通っていました。半年間、愛媛県について考え学ばせていただける機会と、尊敬できる講師陣に出会い多岐に渡る学びを得ました。その中で私が愛媛県のためにできること、それが自分の強みや幸せにつながることはなんなのか、今も真剣に向き合っています。

県内企業でしっかり働かせていただくことも考えましたが、まだ答えが見つかっていません。人の笑顔のために何かしたいことと愛媛県で根付いた仕事を一所懸命すること、それだけは確かな思いです。今は業務委託でありますが観光案内の記事を書く仕事をしたり、愛媛県の旅行観光業のお仕事をさせていただいたりしています。

働くことは人生の中で大部分を占めることです。働くことを楽しめなかったら、人生の大半を楽しめてないのと同じ気がします。私が持っている能力を最大限活かしつつ、大事で譲れないものを貫き何ができるか模索するため、今はこの働き方を選び一所懸命生きていきたいと思います。

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