フリーランサーの代表格 安藤美冬の過去と今、これから

フリーランサーの代表格 安藤美冬の過去と今、これから
ノマドワーカーとして、テレビ出演や書籍の執筆、コンサルティングなど幅広い活動を続ける安藤美冬さん。現在は、活躍の場を海外へと広げています。順風満帆に見える安藤美冬さんのノマドライフ。現在のステータスを築くまでの、苦労や努力について聞いてみました。安藤美冬さんの過去と現在、そして未来。【活躍中のフリーランスへインタビュー】
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フリーランサーの代表 安藤美冬の過去と今、これからを訊く

フリーランサーとして働く女性の代表選手ともいえる安藤美冬さん。TBS系列『情熱大陸』に取り上げられたことでその存在と働き方が世の中に広まったのは、2012年春のことです。

その後もNHK Eテレの討論番組『ニッポンのジレンマ』や国民的番組『笑っていいとも!』テレフォンショッキングなどテレビを中心としたメディアに出演し続ける中、処女作『冒険に出よう』出版、『an・an』『TABI LABO』など各種メディアでの連載、大学講師就任、内閣府「世界青年の船」ファシリテーターなど様々な仕事を手がけてきました。

大手出版社を退職したのは5年前。そして、組織に所属せずに自分の力で仕事をするフリーランサーとして、時間や場所にとらわれない働き方を選んで4年目。

「3年をひとつのサイクルとしてキャリアプランを考えます」という安藤さんにとって、第2サイクルに入ったいま、これまでの3年間で感じたこと、そして今後フリーランサーとして進む方向について語っていただきました。

長期計画は持たない。「3年サイクル」でキャリアを考える

―フリーランスの成功者と思える安藤さんですが、現在のキャリアをつくる過程で、ずいぶんと心が折れそうな経験もあったそうですね。挫折をどう乗り越えていったのかもあとでたっぷりとお伺いしたいのですが、まずは安藤さんの実践する「3年サイクル」についてお聞かせください。

会社員を辞めてからまず決めたことは、キャリアプランを考えた時に、「長期的な計画は持たない」ということでした。変化の早い時代においては、長期計画を持ってもあまり意味をなさない。

とはいえ、ある程度の方向性がなければ、羅針盤のない船のように目的地を見失ってしまいますよね。そこで、「3年」という中期計画を立てることにしました。「桃栗3年柿8年」「石の上にも3年」ということわざがあるように、3年という期間は一区切りとなる。

まず、30歳の節目の年に独立した時点で、自分の思い描いたことを実現する期限を決めました。そう、「3年」です。この3年の間にフリーランスとして目が出なかったら、再び会社員に戻ろうと思いました。3年かけても自分の足でしっかり立つことができなかったら、自分は自営業者には向かない。会社組織の中で、その時は力を発揮していこうと思ったんですね。

その上で、フリーランスとして最初の3年間という「1サイクル目」で決めたのは、「フリーランスとしてワンアンドオンリーのポジションをつくる」ということでした。かなり、ハードルは高く設定しましたよ。

最初の3年間でSNSでの発信でたくさんのフォロワーさんを得ること、出版、大学講師、メディア連載、ファッションブランドやディベロッパーなど企業とのコラボレーション、大きな広告やイベントへの出演など、個人のブランドを確立して、次の3年サイクルでさらに大きなステージ(海外に出る)に立つための、あらゆる仕事をやろうと思っていましたから。

これを3年でやる。そのために、すべてのエネルギーと時間を「ワンアンドオンリーのポジションをつくる」ための仕事に注ぐことを覚悟しました。

―1サイクル目は計画どおりに進んだように思えますが、やっぱり苦労もありましたよね?

最初は、苦労ばかりでしたよ。今でこそ、こんな風に過去に決めたことを発言しても人は聞いてくれるけど、4年前はまったく無名で、大手出版社で働いていたこと以外、たいした実績もありませんでした。実は一部の人には、上記のような「野望」を発信していたのですが、振り返ってみるとだいぶ恥ずかしいです。

有言実行できたから良かったものの、相当勘違いしたビッグマウスだったな、と(笑)。当時の自分は「絶対にできる」と強く思い込む一方、現実の自分とのギャップにだいぶ落ち込んでいました。

せっかく会社を飛び出してフリーランスになっても、自分の強みも分からなければ、出版以外どんな仕事ができるのかも見えなかったから、相手からしたら「何を頼んだらいいのかわからない」状態。スケジュールは真っ白、電話も一向にならず、たまに人から連絡をもらっても、「誰かを紹介してほしい」「相談したい」ということが続いて、具体的な仕事のオファーはない。

自分の価値がこの世で認められていないかのような気がして、すごく落ち込みました。毎日、人に会うのが怖かった。「安藤さん、会社辞めて、いま何をしているの?」そんな、何気ない質問が怖くてたまらなかった。

次第に、人と会うのも億劫になってしまって、部屋の中に引きこもって悶々とする時間が増えました。カップラーメンを食べたり、大好きなコンビニのお菓子を食べたりしながら、自分の臆病さとちっぽけなプライドが悲しかったです。こんな状態なのに、かっこつけちゃう自分って、すごくかっこ悪いなと思いました。

まわりの人たち、友だちはどうかというと、仕事がいっぱいあって輝いて見える。いまは大好きなSNSも、この時期が一番嫌いでした。外の世界で輝いているすべての存在が恨めしかった。ものすごく羨ましかったですね。

「社会的には成功したかもしれないけど、私は過去3年間、間違っていたと思う」

安藤美冬さん
その後、様々なメディアで発信しているように、SNSでの発信がチャンスを呼びこみ、いまのように幅広い仕事ができるようになりました。たくさんの人に応援してもらって、本当にありがたいと思います。

だからこそこれまでの3年間は、最初に決めた「ワンアンドオンリーのポジションをつくる」ために、そして何よりも、こうしてメディアに出て何かを発信していくことが「自分の役割」なんだという責任感のために、ひたすら走ってきました。

寝る時間は確保したけど、起きている間中は、アドレナリンが出まくり、自律神経はオンになりっぱなし(笑)。自分の仕事の合間に本を書いて、連載を執筆して、毎日舞い込んでくる新しい仕事の打ち合わせをして、スケジュール管理や請求書出しも自分でやって、対談相手の本を読んで、テレビや講演で話すための下準備をして……。

毎日色々なことがありすぎて、実は過去のことを思い出そうと思っても、少し時間がかかる(苦笑)。無我夢中の状態だったので、あまりよく覚えていないんですよね。

ただ今度は、わがままなもので、忙しくなったらなったで、結構しんどいっていうジレンマに陥りました。まず、時間がない。このメディアの読者の多くもフリーランスとして働いていたり、あるいはフリーランサーという生き方に惹かれた人たちだと思うのですが、こうした自営業者は、ビジネスオーナーと違って、所詮は「経済不自由人」なんですよね。

売れっ子で、いくら稼いでいようとも。自分の労働時間を切り売りして、対価として報酬を受け取るという点では、会社員と変わらないわけです。そんな「フリーランスのジレンマ」は、まるまる3年間味わうことになります。

周囲の友人たちからも、だいぶ心配されました。「いまのミッフィーは、目をつぶって時速300キロのスピードで走り抜けているディーゼル車みたいだ」、と(笑)。スポーツカーやハイブリッドカーじゃないのが、残念です(苦笑)。

燃費の悪い車で、一気に駆け抜けようとしている。それは大きく飛躍もするけれど、自分の心や体を置き去りにした危険もはらんでいるよ、と。当時はあまり意味がわからなかったし、「自分は、最初の3年は走るって覚悟したんだから」と聞く耳を持ちませんでしたが、いまでは痛いほどその言葉の意味がわかります。

社会的には実りのある時期でもあったかもしれないけれど、私はどこかで間違っていました。人として、女性として、大切にする何かを忘れていた。家族や友人や恋人とのリラックスした時間も、丁寧な暮らしも、穏やかな心で過ごすということも。そう、私は間違っていたと思います。

「安藤美冬はインチキ野郎だ」——その悪口を乗り越えた瞬間

―順風満帆に見えて苦労があった、最初の3年間。安藤さんのように、メディアを通じて顔や名前が知られていくと、時には誹謗中傷の的になることもあったでしょうし。

そうですね。それも、しんどいと感じる理由のひとつでした。休めないっていうプレッシャーはもちろん、一挙手一投足を他人に見られているというストレスがありました。

ネットでエゴサーチをすれば、心ない中傷やまったく根拠のないデマがたくさん書かれている。外に出れば、「安藤さんですか?」と色々な人に声をかけられる。

もちろん、自分に声をかけてくれるのは嬉しいのですが、それがたまたまネットで炎上中だったりすると、「この人は、私のことをどう思っているんだろう」と疑心暗鬼になることもしばしばあって、しんどかった。人を心の底から信じられないと思う体験も、存分に味わった時期でもありましたね。

もちろん、知らない人からあれこれ言われることに対しては、腹を立ててはいません。時々ムッとすることがあっても、その怒りは長くは続きませんでした。自分だって好きなことを発信しているわけだから、受け手が何を返してこようとも、好きなことを言えばいいだろうって。それがフェアっていうものですよね。そういう心の揺れ幅も含めて、いい勉強をしたと思います。

―その迷いとか葛藤は、吹っ切れたんですか?

はい。ある日、分かったんです。なぜ、ネットで書かれることに時々、どうしようもなく落ち込んだりイライラしたりしてしまうのか。感情的に反応をするのか。それは、自分こそが、心のどこかで自分のことを同じように思っているからだって。

例えば、ネットで「安藤美冬は、大学生を騙そうとしているインチキ野郎だ」と書かれたことがありました。ネットでエゴサーチをしていたら、見つけたんですね。書き込んだ人は匿名で、誰かは分かりませんでした。ちょうど大学で教えはじめた頃でしたから、ひどく嫌な気持ちになりました。

そこで、立ち止まってよく考えてみたんです。なぜ、「インチキ野郎」だと書かれることにこんなに傷つくんだろうかと。そうしたら、先ほど言ったようなことがわかったんです。

ああ、そうか。私は私のことを、心の深いところで、「インチキだ」って思っているんだと。

自分の好きなように生きて、好きなように発言している日々のどこかで、「自分は間違っているんじゃないか」「自分は人を騙そうとしているんじゃないか」そんな強い恐れを感じていることに気づいた。

その恐れに真摯に向き合い、感情を溶かしたあと、ようやく「私はインチキ野郎なんかじゃない。正しい、立派な人間ではないかもしれないけど、少なくとも自分の心に正直に生きる、純粋な人間だ」そう、思えたんです。

その日を境に、ガラリと見える景色が変わりました。これまで、どこかで疑心暗鬼だった、閉じられていた心がオープンになった。ずっと色々な人に好かれたいと思っていたけど、本当の意味で、嫌われてもいいやって思えるようになった。すると不思議なもので、嫌われる場面が極端に減ったんです。

ネットでの誹謗中傷は激減して、たまに悪口を飛ばす人がいても、リプライしたり色々な対応をしているうちに、ファンになってもらったり(笑)。この世界に生きる人は、本当の意味で悪い人なんていない。どんな人も、その人の信念や正義があって、その思いが強いからこそ、時に対立することがあるんだって。

―ちょっとの勇気を出したら、前に進んでいくことができたわけですか?

そうですね。そしてその勇気って、根拠があると思うんです。こうした理性でもって起きた出来事を冷静に受け止め、分析することで思い込みを書き換えるという作業。さらには、行動の積み重ねです。

私はいままでこれだけ準備してきたのだ、仕事をしてきたのだ、人に会ってきたのだ、経験をしてきたのだ、考えてきたのだって。だからこそ、私はできる、私は変われるという。私には勇気をかき集める時間として、3年という時間が必要だったのです。

1年の半分を海外で仕事をしているという、2サイクル目の現在

安藤美冬さん"
―確信めいた勇気を手に入れて、4年目、2サイクル目に入ったわけですね。

はい。2014年目から「3年サイクル」の2サイクル目に入りました。1サイクル目は「フリーランスとして、ワンアンドオンリーのポジションをつくること」。幸運なことに、やりたかった仕事はほとんどかなったし、ポジションもだいぶつくれてきたという実感を持てたので、いよいよ2サイクル目で、フリーランサーとして本当にやりたいことにチャレンジしてみようと決めました。それは、とってもシンプルにいうと、「海外を舞台に仕事をする」ということです。

海外を飛び回りながら生きることが小さい頃からの夢でした。中学、高校で世界史を教える父親、マレーシア生まれの祖母、海外文学が好きな母親のもとに育って、幼少期から、「広い世界に出るんだ」という思いを強く持っていました。

10代になると、チャンスがあれば英語を勉強して、海外をまわってきました。世界青年の船という国際交流事業への参加やオランダ・アムステルダム大学への交換派遣留学、海外バックパック旅などを続けてきて、これまで訪れた国は55カ国くらい。生涯、旅をしたい。大勢の人と出会って、たくさんの経験をしたいっていう欲求のままに、こうして世界中をまわりながら仕事を続けることができたら、どんなに幸せだろうって思ってきました。

まだ1サイクル目を終えたばかりの駆け出しのフリーランスでしかないけど、一度きりの人生なのだから、本当にやりたいと思うことにぶつかってみたかった。過去3年で築いてきたものを一時的に手放すのはもったいないとしても、挑戦を続けていきたかったんです。

―なるほど。そして、2サイクル目となった2014年から、本当にやりたかったという、海外の仕事を増やしていけたんですか?

増やしていけました。2サイクル目の2年目の現在、約半分は海外にいて、仕事をしています。

もちろん、いきなりそういう状況になれたわけではありません。自分なりに、3年サイクルのプランがありました。ざっくりと言うと、2サイクル目の1年目は、準備期にあたります。海外でどんな仕事をするのかもまだ分からなかったし、そもそも海外と東京を行き来して仕事をするスタイルがどんなものか体験したことがなかったので、まずは自腹を切って海外に行き始めることからスタートしました。

すでに海外で起業をしたりして活躍している友人を訪ねにインドネシアのジャカルタに行ったり、東京とアジア諸国を行き来しているフリーランスの友達の話を聞きにタイのバンコクに飛んだり。せっかちになってしまうのは簡単だけど、すぐに海外で何か仕事を始めたりするよりも、まずは順序を踏むのが大切だな、と。

少しずつ海外で活躍する友人との関係をつくったり、情報収集をしていくことで、自分が彼らのようなライフスタイルをおくるイメージもつかめていけました。

次は、自腹ではなく、これを仕事として海外に行けるようになるにはどうしたらいいのかを考えました。そこで、まずは発信をすることにしました。過去3年間のSNSでの発信活動を続けてきて、フォロワーさんがそれなりにいらっしゃいました。

ツイッターは約5万人、フェイスブックでは約2万人。海外で見聞きしたことをSNSで発信していくうちに、「安藤美冬といえば最近海外によく行っているらしい」「これまで50カ国以上を旅してきた人なんだ」という、漠然とでもいいから、安藤=海外のイメージが少しずつ浸透していけばと。そうしているうちに、現実も変わり始めました。実際に仕事として海外に行くチャンスが舞い込んできたんですね。

まずは、連載です。いま、「オズトリップ」「TABI LABO」「Movilist」という旅系ウェブ・雑誌メディアにて連載を持っているのですが、こうした媒体から連載のオファーをいただき、書くようになりました。そうすると、旅行代理店さんから「この旅行を招待するので、連載枠で記事にしてほしい」という依頼がくるようになりました。

具体的には、ブータン、スリランカなどです。書籍で滞在記を書いたり、オリジナルツアーの企画を通じて、こうした国にご招待をいただきました。

また、アメリカのカメラメーカーGopro社から新商品発表会@ハワイの招待を受けたり、雑誌DRESSとの企画でアメリカのポートランドに読者数名と一緒に訪問する機会があったり、東洋経済新報社から当時はまっていた「セブ島英語留学」のガイドブックの執筆オファーをもらったりと、次々と海外へ仕事のために渡航するチャンスがやってきました。

自腹で行き始めてから半年くらいでしょうか。2サイクル目の2年目がはじまった頃からです。

「乗り越え方」を知っているだけで、私も傷つくし落ち込みもします

―安藤さんはフリーランスとして成功者で、誰もが羨む自由を謳歌して……なんてイメージもありましたが、壁にぶつかってひとつずつ乗り越えてきたんですね。

私にとっての成功の定義は、「好きな時に、好きな場所で、好きな人と仕事をする」という自由自在な人生なので、その意味ではとても成功していると思います。決してお金持ちなわけじゃないし、悩みから解放されているわけではありませんが。

やっぱり、鉄のハートを持っているわけじゃないので(笑)、ヘコまないわけじゃありません。むしろ、ちょっとしたことで落ち込むことが多いし、感傷的にクヨクヨすることもあります。

大切なのは、強くあることじゃない。自分が歩いてきた道を振り返った時に、その時に何を感じて、どんな壁にぶつかって、どう乗り越えてきたかっていうのを忘れない能力だと思います。

同じような壁が立ちはだかった時の乗り越え方を知っているっていうだけです。その度に傷ついているし、その度に悩んでいるのは皆さんと同じだと思いますよ。

そうやって少しずつやっていくうちに、煩わしさや苦しさよりも、何かやりたいという前向きな気持ちがどんどん出るようになりました。

―回り道に思えても、一歩ずつ着実にステップアップしていくと。そんな安藤さんのご活躍、これからも注目しています。ありがとうございました。

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