地元山形へのUターンで手に入れた、複業で働くという選択。

地元山形へのUターンで手に入れた、複業で働くという選択。
山形県にUターンし、フリーランスとして複数の仕事を手掛ける高橋さん。オリジナルプロダクトを展開する「anori(アノリ)」を立ち上げ、デザインと雑貨店の経営を行なっています。その他、地元企業からプロダクトデザインの依頼を請けるなど、何足ものわらじを履くフリーランサーのストーリーです。【活躍中のフリーランスにインタビュー】
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デザイナー、店長という復数の顔をもつフリーランス

山形の職人や企業とのコラボレーションによるオリジナルバッグや雑貨、ヴィンテージ家具を販売するデザインショップ「anori(アノリ)」

立ち上げたのは、地元山形県出身のプロダクトデザイナー 高橋天央さん。建築学科を卒業した後、大阪のデザイン事務所に勤務。山形の家具工場に務めた後に独立しました。

端材を利用した、世界にふたつとないオリジナル柄のバッグ。高橋さんがひとつひとつオリジナルのデザインを施します。山形の縫製職人が形にし、Webだけでなく実店舗でも展示・販売。

デザイナーであり店長でもある高橋さんですが、実はもうひとつの顔を持っていました。地元企業を中心に、プロダクトやパッケージ、Webデザインまでも手がけるフリーランス。

復数の仕事を掛け持つきっかけやそのメリットについて伺いました。

会社員がフリーランスに鞍替えするきっかけとは

高橋さん

―プロダクトブランド「anori」を立ち上げたのが2013年で、以来、いわゆるフリーランスとして働いているわけですよね。まず独立する経緯について教えてください。

学生時代に建築を学んでいました。デザイン系を学べたらいいなと思っていたので、『空間デザインコース』を選択したんです。実際はバリバリの建築学科で「うわ~……」っなったんですが、なんとか卒業しました。

もともと家具のデザインをやりたかったので、いつかプロダクトデザインをと思って。大学での授業に、空間の中にどんな家具を置くとか、何かしら共通点を期待しましたが、やっぱりなかった(笑)。

卒業が近づくと、みんな就職活動をするじゃないですか。僕は建築系の会社に勤める気がなかったので、とりあえず家具について学びたいと思い北欧に行ったんです。デンマークに1年ほど。専門学校のプロダクトデザインコースに入って、実際は遊んでばかりでしたけど、興味のあった分野を学べたのは良かったです。

帰国後、芸術系の大学院に行こうと考えていましたが、当時お付き合いをしていた彼女のお父さんから「そろそろ働け、おまえ!」みたいなプレッシャーを受けて。プロダクトデザインの募集は少なかったんですが、たまたま見つけた大阪の会社に採用していただけました。

独立するつもりはなかった。やりたいことに挑戦したかっただけ。

―就職した会社で家具のデザインに携わることはできたんですか?

家具もやると聞いて入ったんですけど、実際は家電、スポーツ用品、アウトドア用品でした。いろいろなプロダクトを見れたので、結果としては良かったです。

―初めて自分が設計したもの、デザインしたものって覚えてらっしゃいますか?

ヘアドライヤーですね、世に出たのが。4年ほど勤めたので、本当にたくさんのプロダクトをデザインさせてもらいました。

―そして地元の山形にUターンしたわけですが……

きっかけは、子どもが出来たこと。自然の中で子育てしたいという考えが漠然とあって、妻も山形県の出身だったので、一緒にUターンしました。

仕事を探さなくてはいけなかったんですが、人材紹介会社から「山形に家具の会社あるけど、どう?」と勧められて。面接に行ってみると、完全に下請けの製造会社でした。デザインをやりたかったんですけど、「これから新しいこともやっていく」と言われて、甘い言葉に乗ってしまったところはあります。

―甘い言葉、ということは実際……

CADを使って図面におこすという仕事でした。家具のプロダクトデザインをやりたかったけど、家具じゃないプロダクトデザイナーになって、次は家具だけどデザインはできなくて(苦笑)。

―一歩ずつ近づいたような、遠ざかったような(笑)。その後、独立したわけですね。

独立する前に、当時の会社で自社ブランドを立ち上げようという話があったんです。社長に何度もプレゼンして口説き落として。フランスの展示会にも行かせていただき、いよいよこれから! というタイミングで困ったことになりました。

社長の上の創業者からストップがかかって。自社ブランドというのがしっくりこなかったんでしょうね。「どうしてもやりたいなら外でやりなさい」と言われてしまい、「これは独立してやるしかない」って。

自社ブランドとして、バッグとか雑貨類をつくる予定だったんですね。仕入先なども見つかっていたので、迷惑をかけたくないという気持ちも、独立を後押ししてくれました。

復数の仕事に携わるということは、本業も複業もない。

anori高橋さん

―独立して「anori」というブランドを立ち上げたわけですが、どのようなコンセプト、プロダクトなのでしょうか。

前職で立ち上げようとしたブランドのコンセプトが、『廃材を使ってできるもの』でした。たくさんの布が余っていたので、端材を有効活用したいと思ったんです。

毎日、大量に捨てられている現場を見ていると、すごいもったいないと感じていて。ゴミを収益につなげるっていうことが出来るので、会社としても収益的に良いだろうし、自分

自身のやりたいことをできると思っていたんです。結果として、独立して実現することになりましたが。

―自社ブランド製品を販売する「anori」での仕事と並行して、地元の企業からも仕事を請けているそうですね。

山形の企業って、下請けで製造だけをやっているケースが多いんです。そういう会社って、すごい価格を下げざるを得なくて、中国なんかと比較されてしまうので、苦しい経営をしているのは分かっていました。

生まれ育った土地、山形にある会社をどうにかしたい、という気持ちが以前からあったんです。私のできること、かつやりたいことでもあるデザインで協力していければと。

独立したので、どんな会社や相手とも自由に協業できる状態になりました。これはちょっとチャンスだなと思って。

―まだ始めたばかりの活動ということですが、具体的に動いているものはあるんでしょうか?

最初に一緒にやろうと声をかけてくれたのが、抜き型を作る会社でした。そこはパッケージもつくっているのですが、展開するとすごい複雑な形になっていて。特別な技術力があったので、それを用いて新しいものを作らないかみたいな感じで。

あとは、車のリサイクルセンターってあるんですけど。廃車からシートベルトとかエアバックなどの廃材が出てくる。それを使って商品開発したいという会社とは、丈夫な素材を用いたバッグをつくったり。

他にも屋根瓦の会社から声をかけていただきました。葺き替えをすると古い瓦を処分するんですが、それを砕いて素材として新しい製品を生み出すとか。

anori高橋さん

―雑貨屋とのバランスはどうやって調整しているんでしょうか?

雑貨屋は……そんなにお客さんがくるわけじゃないんですよ。平日だと2、3組のお客さんだけという日もあります。

空き時間がめちゃくちゃあるので、時間は比較的自由になる。雑貨の売上はほとんどがWebになりますので。

お客さんがいらっしゃれば店長として接客しますが、それ以外は店の片隅で新しいバッグや他の企業さんのデザインをしています。

―会社員時代ではできなかった、新しい働き方ですよね。突っ込んだことを伺いますが、会社員時代と比べて収入はどうですか?

正直、1年目はだいたい半分くらいになって……やばいなってなって。2年目で少し波に乗って、今年3年目なんですけども、なんとか見込みは立つかなという状況です。

やはり企業から依頼されるデザイン、店舗の片隅で日々やっている仕事が大きいですね。比率でいくとバッグを抜いていますし。原価がかからない分、利益率が高いというのもあります。

―生活を支えているのは、企業から請けるデザインの仕事ということですが、本業はどっち? と聞かれたら。

どちらとも言えないんですよね。自分の中では、本当に2トップみたいな感じで。バッグがなければデザインの仕事もなかったでしょうし。仮に儲けがなくても、やめられないですね。苦労して育てた愛着がありますので。

同じデザインが存在しない一期一会の商品なので、気に入ってくれるお客さんはやっぱり喜んでくださいますしね。デザインの仕事に携わっていて、一番うれしい瞬間ですよ。

(おわり)

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