9500kmかなたで、日本の仕事を手がけるフリーランサー|タヒチでの永住を決めて

9500kmかなたで、日本の仕事を手がけるフリーランサー|タヒチでの永住を決めて
タヒチで暮らす女性フリーランサー。2011年3月11日といえば、忘れることの出来ない一日です。東日本大震災をきっかけに、旦那さんの故郷であるタヒチへ移り住んだ林さん。乳飲み子を抱え、住んだことのない地への移住。9500km離れた土地でも、日本とつながっていられるフリーランサーの魅力を紹介していただきます。
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突然タヒチに…。フリーランスで働く前の出来事

2011年3月14日。リュックサックにパスポートと紙おむつを詰め込んで、夫と5歳の娘、生後間もない息子と着の身着のまま飛行機に飛び乗りました。行き先は南太平洋タヒチ。夫の親戚が多く住む小島です。震災と原発事故からの一時避難が目的。

タヒチは日本の喧騒が嘘のような穏やかさで、私たち家族を迎えてくれました。天国なのではないかと錯覚するほど平穏な日常。しかし言いようもない孤独を感じました。国際結婚ですが、出会いは日本。夫婦の言葉も日本語で、それまで「外国で暮らす」ことを具体的に思い描いたことがなかったのです。

アイデンティティーを失くした海外永住

自宅から見える風景

日本へ帰国する直前だった5月のある日、夫がタヒチで職を見つけました。それは、このままタヒチで生活することを意味しています。タヒチは常夏で過ごしやすい土地ですが、住み続けるとなると話は別。私には日本に残してきた生きがいがあったのです。桐朋短大で演劇を専攻し、卒業後すぐに劇団を旗揚げしました。脚本家・演出家として、青春時代のすべてを捧げた演劇に携わり続けていたのです。

タヒチに住むということは、自分のアイデンティティーを丸ごと失うということ。言葉もわからない外国で、これからどう生きれば良いのだろう…。強い孤独感と焦燥感に包まれました。

仕事はないけど、タヒチに根を張ろう

タヒチで暮らすという選択を余儀なくされた私。日本に残してきた生きがいに後ろ髪を惹かれながらも、この土地に根を張る覚悟をしました。乳飲み子の息子をおんぶし、独学で公用語のフランス語を学ぶことからスタート。苦手な発音は、知り合ったバイリンガルの日本人女性に、徹底的に鍛えてもらいました。

息子を夫に預けられる年になると、少し生活や気持ちに余裕が出てきたように思います。仕事から戻った夫に子どもたちの面倒を頼み、激しいリズムで踊るタヒチアンダンスを習いはじめました。たくさんのダンス友達ができ、2014年には、タヒチ最大のダンスコンクール「ヘイヴァ」にダンサーと演出家の手伝いとして参加。総勢100名ほどのダンサーやミュージシャンたちとタヒチ島のはずれで衣装作りの合宿をしたのは良い思い出です。自然をまるごと取り入れ情熱的に踊るタヒチアンダンスは、私が日本で知らなかった舞台芸術の根源を教えてくれます。

今では、公園を歩いていたり、運転していると「ミチ!」と声を掛けられることが増えてきました。少しずつタヒチに根を張れているのでしょうか?

海外で働くということ

林さん

息子が3歳になり幼稚園に通いはじめると、「働きたい」と思いはじめました。しかし、外国で仕事を見つけるのはとても難しく、子どもの学校の送り迎えの関係から働ける時間も限られています。

ふと、「インターネットをつかった内職のような仕事」があるのではないかと思い立ちました。早速検索してみると、ランサーズに辿りついたのです。テープ起こし、ライティング、ネーミングなどおもしろそうな仕事が山のようにあり、興奮しました!タヒチという日本からおよそ9500キロも離れた場所にいながらも、自分が得意なことで働けると知った時は、目の前がパッと開けたような気がしました。

ランサーズでの働きかた

ランサーズに登録し、翻訳、ライティング、ネーミング、シナリオ、コピーライトなど様々な仕事をやらせていただいています。顔も名前も知らないクライアントとのやりとりに、最初は少々戸惑いましたが、物質的距離を埋めるためなるべく早いメッセージの返答を心がけています。また、時折たわいないメッセージもやりとりし、仕事のちょっとした息抜きにもなっています。

インターネットとパソコンがあれば、たとえ地球の裏側にいても、自分のペースで働くことができる。子どもが風邪をひいても、会社に迷惑をかけることなく働き、看病することができる。主婦にとってもランサーズは本当に心強い存在です。

外国でフリーランサーとして働く

自宅の庭

仕事で煮詰まることが誰しもあると思いますが、外国暮らしのメリットを感じるのがそんなときです。玄関から一歩外に出たら、言葉も文化も違う外国。タヒチの景色と人々の大らかさ、ラジオから流れてくるタヒチ語の歌に癒されています。否応なしにスイッチが切り替わる瞬間です。

もちろん、良い面だけでなく時差の問題、インターネットや電気が突然使えなくなったりなど、自分でどうしようもないことも発生します。ギャランティは日本国内の銀行に「円」で支払われるので、すぐお金を使いたいときは為替の問題もあり不便です。ただ、タヒチでは買うことのできない細々とした物を、ネットで購入し郵送してもらうのも家族の大きな楽しみの一つになりました。

生後3ケ月でタヒチに来た息子はもう4歳。5歳で来た娘はもうすぐ10歳。私は、これからもランサーズでゆるやかに逞しく、タヒチという土地で自分らしく働けたらいいなと思っています。

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